谷中といえば

 谷中といえば、東京スカパラバリトンサックスを演奏している谷中敦

ことを思い出すなんていうのは、わざとらしく、谷中といえば霊園と小沢信男

さんを思いだすのでありました。

 小沢信男さんの昔の本には、終わりのところに住所が掲載されていまして、

その頃は東池袋にお住まいでありました。東京がバブルになって、地上げが

横行した時代に、小沢さんの住まいにもそれが及んで、これに乗じて谷中の

墓地のなかの古い住宅を購入して、ここへと移りすみました。

 谷中のお住まいへは日暮里の駅から霊園のなかを歩いていくか、または台東

区めぐりんバスにのって三崎坂(さんさき坂)で下車して行くかでありました。

 これを思いだしたのは、もちろん昨日から手にしている森まゆみさんの新書

「しごと放浪記」のおかげであります。(26日の読売新聞読書欄の文庫、新

書の欄には、津野海太郎さんの「最後の読書」とならんで「しごと放浪記」が

取り上げられていました。読書欄に関しては読売はえらい。森さんの新書には、

「新聞の書評は、権威主義で書かれたような難しい本が多かった。」とありま

す。1980年代のことですが、さて今はどうでありましょう。)

 小沢さんが谷中の住人になる前から森まゆみさんと面識があったのかどうか

はわかりませんが、谷中に越してからはご近所付き合いのようなものがあった

と思われます。当方も小沢さんから森さんのお名前を聞くようになりました。

 これまで「しごと放浪記」を読んでいて、小沢さんに言及しているのは、次の

二箇所です。(この先まだあるのかもしれません。)

「2000年ごろ『本とコンピュータ』という雑誌で、地域の仲間でもある河上

進さんが『機械に弱くても学べるパソコン』みたいな連載をやりませんか、と

いうので、大先輩の作家、小沢信男さんとの往復書簡みたいな形で連載を始め

た。」

 あと一箇所は森さんの本がちくま文庫にはいったときに、それの解説を書いて

くれたことについてでありました。

 そうなんですよね、「本とコンピュータ」という雑誌が縁で、小沢さんは富士通

オアシスワープロからマック派(最初のマシンはIbook G3のクラムシェル)へ

となったのでありました。CUBEとかMacBookを経て、最後のマシンはiMacでし

た。) 

 先ほど引用した森さんの文章に続いては、「河上さんが秋葉原で、マックを買う

ところから付き合ってくれ、設置もし、手取り足取り教えてくれました。」とある

のですが、この時は小沢さんも一緒だったのかな。そのあとの指南役は、小沢さん

の「暗き世に爆ぜ」の最後に名前があがっているデザイナーの「古藤祐介氏」で

ありました。

 この連載は何回続いたのか、まだ保存されている「本とコンピュータ」を開いて

みることにしましょう。