生みの苦しみ(柏原兵三)

 柏原兵三という小説家がいまして、いまではすっかり忘れ
去られた存在になっているのではないでしょうか。検索をかけ
ましたら藤子不二雄のマンガ「長い道」の原作者としてでて
きます。彼の芥川賞受賞作である「徳山道助の帰郷」という
作品は古本でめちゃ高い値段がついているのですがね。
 とはいうものの、小生もほとんでよんでいるとはいえない
状況でありますが、はじめて彼の仕事を手にしたは、
ヨーゼフロートという作家が書いた「ラディツキー行進曲」の
翻訳でした。オーストリアハンガリー帝国の軍楽隊の所属する
親子についての作品であったと、うっすら記憶に残って
いますが、この作品をどうして読むことになったのかほとんど
覚えておりません。
 「ラディツキー行進曲」というのが、ウィーンフィル
ニューイヤーコンサートの最後に演奏される曲であるというのは、
この小説を読んでから、ずいぶんとたって知るにいたりました。
 この小説を翻訳しながら、これが自分の書いている家族に
ついての作品(徳山道助の帰郷)にとって、どれだけプラスに
なっているかいっていたと読んだのは、だれの文章によってで
あったでしょうか。
 柏原兵三のエッセイで、小生のすきなものに「生みの苦しみ」と
いうものがあります。

「 気分が爽やかな時は、私には小説が書けない。少なくとも
今のところ、気分が爽快で幸福であるという状態と小説を書くと
いう行為は、私にとっては二律背反的である。幸か不幸か、
気分が爽快なことは私にはめったにない。私はたいてい憂鬱で、
心は重くふたぎ、すべてが面白くない。それが病的な状態に
までたかまりそうになると、私は小説が書きたくなる。小説を
書いているあいだも、まったく楽しきない。しかし小説を書いて
いなかったら、もっとやりきれないだろうと思うから、机に
むかってじっとすわり、原稿用紙に字を埋めていくという、
因果な、ひどく非英雄的な作業、一種の苦行にも耐えることが
できるのかも知れない。」

 いかにも、ドイツ文学者らしい生真面目さではないでしょうか。
この文章を発表してから、4年程の昭和47年2月 38歳で
脳内出血でなくなったのでした。