訃報あり

 多和田葉子さんの「百年の散歩」を読んでいましたら、早くも脇道にそれてみたい
と思いました。
 ベルリンの通りの散歩でありますからして、当方の書架にありますベルリンもので
あります。持っていないものでありましたら、「ベルリン・アレキサンダー広場」と
いう大物がありですが、これは小説のタイトルを思いだしただけで終わりです。
 ひっぱりだしてきたのは、柏原兵三さんの「ベルリン漂泊」と長谷川四郎さんの
「ベルリン物語」と「北京ベルリン物語」(「アジアの純真」にはあらず)でありま
す。
 そうこうしている時に、朝日新聞朝刊をみましたら、次の訃報が目に入りました。
「長谷川元吉さん(映画カメラマン) 6月25日、肺気腫で死去、77歳。葬儀は近親者
で営んだ。 
 吉田喜重監督の『エロス+虐殺』『戒厳令』やホイチョイ・プロダクション原作の
私をスキーに連れてって』などの撮影を手がけた。父は作家の長谷川四郎 」
 長谷川四郎さんの長男である長谷川元吉さんが亡くなったことを、これで初めて知り
ました。これは他紙には掲載されたのでしょうか。長谷川元吉さんの訃報をよくぞ取り
上げてくれたものと感謝するのですが、ほとんどの読者には、その人は有名なのという
感じでありましょう。
 長谷川元吉さんの略歴は著書「父・長谷川四郎の謎」のカバーに紹介されているほか、
著作の中にも個人的なことが記されているので、これをご覧いただくのが一番であるか
もしれません。

父・長谷川四郎の謎

父・長谷川四郎の謎

 古くからの長谷川四郎さんの読者にとって元吉さんという方は、長谷川四郎作品集
晶文社)の装幀者でありました。
 この装幀について、平野甲賀さんは、次のように書いています。
「この『長谷川四郎作品集』の装幀は御子息の元吉君だったと思う。貼り箱入りで、
箱の背から平にかけて大きな(四郎さんのか?)手形がパシッとついていて、当時流行
のオプチカル・アート風の色彩で、じつはあんまり感心しない(ごめん)ものだった。
だけどこの四冊は僕の本棚の特等席にいつも入れてあって、いずれ僕が作りかえるのだ
と、にらみ続けていたものだ。」(初出は「東京新聞」1986年3月10日)
 元吉さんは1940年2月20日北京で生まれ、敗戦後の46年に母とともに引き揚げ、成長
して多摩美術大学デザイン科卒業し、フリーのカメラマン(コマーシャルフィルムなど
たくさん手掛けているとのこと)をしていましたが、四郎本の装幀をしていたのは20代
のこととなります。
 本日に手にしていた四郎さんの「ベルリン物語」(最近は「ベルリン1960」といわれ
ています。)は1961年12月の刊行ですが、この装幀は、いまだ大学生であった元吉さん
でありました。
 それにしても、亡くなったのが77歳というところは、父親四郎さんに同じでありまし
て、元吉さんの晩年はどのようなものであったのでしょう。