手紙の人

 昔の文学者の個人全集には、書簡集というのがあったように
思います。とにかく、断簡零墨をあつめて全集を編みましたと
いうのが売りの時代には、書簡だけで一冊というのも珍しくは
なかったですからして。
 本日のタイトルにした「手紙の人」というのは、かって晶文社
からでていた「ベンヤミン著作集」の「書簡」の帯にあった言葉
です。(これまた、いつものとおりで記憶で書いています。
たしか、ブレヒトが「日記の人」でそれに対比していっている
ように思います。
 当時、毎日はがきを知人にあてて投函していた小生は、こちらは
「はがきの人」とうそぶいていたのです。)

 最近は、めっきり手紙を書くことがなくなりましたが、これから
書簡集なんてのは成立するのでしょうか。メールを保存するという
のは、けっこうたいへんでありますからして、手紙よりもメールを
中心にしているだろうと思われる作家さんの全集を編む編集者は
書簡をどうして集めるのでしょうか。(全集もディスクにデータと
して販売されたりするのかな。そのときは、パソコン画面で見ると
いうことになるのか、それとも、さらに新しいものができるので
しょうか。)
 夫婦の間で手紙をやりとりしたものとしては、中野重治原泉
ものなどがありますが、夫婦以外の異性間でかわされた書簡という
のは、なかなか公開にはいたらないものです。
ちょっとでも恋愛感情がはいりましたら、関係者みなが亡くなるまで
公開とはなりません。
 数年前にでた野上弥生子さんと、田辺元のものなどは、両者が著名
人であるということで話題になりました。軽井沢の別荘でのつきあいで
あったのでしょうか。この書簡は、まだ手にしておりませんが、どの
ようなことがかかれているのか興味のあるところです。
 本日「ブック・オフ」で購入した「アーレントハイデガー」も
二人の秘められた関係を未公開の往復書簡を通じてあきらかにする
というものでした。20世紀の恋愛ドラマとして、これ以上の役者は
ないですね。かたやナチスに荷担して大学総長となった哲学者と
反ユダヤ主義告発のアーレントの恋愛ですからして。
 こうした書簡は、どこかで捨てるというのが普通であるのかもしれ
ませんが、亡くなるまで保存していて、そのまま死後に残されたと
いうのは、当事者は、後世に公開されることを頭においていたのかも
しれません。どちらも、自分に自信があったでしょうから、このような
両者の関係は歴史に残ると思っていたかもしれません。