富士さんとわたし10

 「富士さんとわたし」を読んでいましたら、あちこちに寄り道の誘いがありまして、
まっすぐに進んでいくのが惜しくなります。本日は、久しぶりのお天気のお休みで
ありましたので庭の草むしりをしなくてはと、道具をとりに物置にはいったのですが、
そこで、「富士さんとわたし」に登場する本などを見つけて、これはもっていると
記憶していましたが、こんなものまで購入していたのかといまさらのように驚いて
いたのです。なんともはや、おろかしいことであります。
 驚いたのは、久坂葉子の六興出版からのものがそろっていたことでした。
作品集「女」と詩集と手紙でありますが、でたときに購入したのですが、これなども
富士正晴さんへの興味で購入したものでしょう。作品集「女」には、昨日に話題に
した「幾度目かの最期」が収録されていますが、この作品が、出版を許可されるように
なったのは、彼女が亡くなってから20年近く後の「文藝春秋社からでた『新編人生の
本』第1巻『愛をめぐる断想』」においてだそうです。
この作品集を手にして、ぱらぱらと中をのぞき、編者の富士正晴さんのあとがきを
読むことになりました。
 手紙では、富士正晴さんのところだけが往復書簡のかたちになっていますが、
これについての富士さんのあとがきでは、次のようにあります。
「 昭和27年の3月、彼女が自殺に失敗し自宅療養している時期に、元気がつく
 ようにと『うその恋文』の交換をはじめ、彼女が元気になり外界をとびまわりだすと
 ともにその企ては消滅した。
  この往復書簡集は久坂の母とわたしの妻が楽しみに読んでいたもので、わたしの
 久坂あての手紙は全部保存されていた。これは久坂のわたし宛の手紙の解説になろう
 かとも思い、又、久坂の母のすすめもなくはなかったから、久坂書簡集の中に例外的に
 収めることにした。いたしかたないことになったとわたし自身は落ち着かぬ思いである。」

 若い才能豊かな女性で、自殺未遂を数回やっていて、いつ自殺をしても不思議でない
状況で、往復書簡というのは、ほとんどいのちの電話のようなやりとりであります。
にもかかわらず、久坂さんは、その27年12月31日に自殺をするのでありまして、
これは相当にショックなことであったでしょう。
その鎮魂が「贋・久坂葉子伝」であり、全集にかわる、このような作品集の刊行で
ありました。これらは、富士正晴流の「死者を立たしめる」作業ということになるのでした。