力入っているな

 本日に「本の雑誌」4月号が届きました。

 いつもより厚いように感じたので、これは亡くなった目黒考二さんの特集号で

あるのかなと思って、封を切ったのですが、表紙に記された特集は「短歌の春!」

でありました。

 「短歌の春」という特集で、ここまで厚いかと、表紙をめくってみましたら、

次のページからどーんと「本屋大賞 ノミネート作品データ集」ということで、

10作品について、それぞれカラー2ページで紹介されていました。

「4月12日明治記念館13時出走」と書かれていましたので、競馬新聞の趣で

ありまして、ノミネート作についてのデータが競馬新聞のように記されているの

でした。

 競馬新聞と違うのは評論家による予想がないことでありますが、これはある種

の広告なのでしょうけども、このような広告はあまり目にしたことがなくて、

本の雑誌」の巻頭を飾るにふさわしいことであります。

 どういう順でならんでいるのかと思いますが、たぶん小説タイトルの五十音と

いうことになっているのでしょう。

 1枠は「川のほとりに立つ者は」で、作者は寺地はるな、版元は双葉社で、

担当編集は田中さん、営業は小笠原さんとあって、それぞれの人のコメントが

掲載です。 

 競馬でいきますと騎手、馬主、厩舎、調教師、調教助手、血統、生産者などが

紹介されているようなものでありまして、それに書評家とファンの応援メッセージ

もありです。

 この試みはとっても面白いことです。最近は「本屋大賞」を受けると売り上げ

が伸びると聞いていますので、出版社の力も入ることです。

(ちなみに昨年は「同志少女よ」でしたね。)

 前にTVで直木賞かの受賞決定のドキュメントをやっていて、受賞がきまったら、

すぐに増刷できるように印刷会社、製本所もスタンバイしている様子が映し出され

ていましたが、この出走表には、そうした会社名の掲載もあって、多くの関係者が

固唾をのんで結果を待っているのでしょう。

 場産地となる日高では、G1などで優勝した生産牧場には町長が足を運んでお祝

いをしたりするのですが、こちらの生産地はみな東京ばかりで、それはすこし

残念なりです。 

ほんとよくわからないことで

 つくづくと当方などは古い時代の人間であると思うことであります。

 ネット社会というのには、それなりに付き合っているつもりでありますが、

小学生などが将来になりたい職業ということで、you-tuberなんてのがあがっ

ているのをみますと、そんなの仕事といえるのかと思ってしまうことです。

 社会派とか暴露系とかいうジャンルのyou‐tubeなんていうのがあると聞くと

誰がそんなものを見るのかと思うのですね。

 彼らがそれなりの影響力を持っていると知ったのは、そうした活動をして

いる人たちが国政選挙で議席を獲得した時でありますね。へーそうなのかと

思いましたです。 

 当方は、そのむかしに「しょーこー、しょーこー」と歌っていた団体の選挙

活動を路上で目撃したことがありますが、結局は議席を獲得できずに終わりま

したし、ごく最近に亡くなった宗教法人の代表が指導する政治団体も、これま

でのところ選挙で議席を獲得できておりません。

 それを考えるとインターネット軸にした活動というのは、人を動かす力が

大きいと感じることです。その結果がどうなのかは、難しいところですが、

とりあえず当方には、バカバカしい悪ふざけのようにしか思えませんが、まじ

めにやってもバズらないけど、悪ふざけは受けるからねということで、受け

ねらいがヒートアップするのでしょう。

 そうしなくては、彼らの収入につながらないのですから、商売になるなら、

少々やばくてもバズらさなくてはということに対しては、視聴しないという

ことにしなくてはです。

 それにしても、各種選挙における投票率の低下は目を覆いたくなることで

ありまして、特に若い人の棄権が多いようにも言われています。それを考え

ますと、このようなネットでの活動を軸にすえる政党は、若者の政治離れを

防いでいるともいえることで、単に嘆かわしいといって済むことではないで

すね。

りんとして

 詩人の石垣りんさんのエッセイ集が中公文庫から刊行となりました。これまで

ちくま文庫などに収録されていたエッセイ集からの選ばれたものを収録したも

のとなります。

 石垣りんさんは、1920年生まれでありますから当方の亡父と同じ年に生ま

れとなります。経済的に恵まれた家庭ではなかったので、当時の高等小学校を終え

ると14歳で働きにでることにです。勤めたのは、今はない日本興業銀行です。

日本興業銀行というのは、ちょっと特殊な銀行でありまして戦前にあっては工業の

近代化に、戦後は高度成長を金融面で支援するのが役割でありました。

 この銀行は多くのエリートたちが働いていたのですが、その一番底辺で仕事を

していたのが石垣りんさんのような女性となります。

 それこそ石垣さんは、工場ではなくて、事務部門に籍を置くプロレタリアであ

りまして、戦後になって労働組合活動に入っていくのは当然の道であったように

思います。

 石垣さんの書いているところから引用です。

「あの時代のオツトメに、少女がどれだけ自分を生かすことの出来る職場があった

か、ということです。昭和十年ごろのことです。 

 一般の会社では、女性はあくまでも使われる者の立場。身分制というものがゆる

ぎなくたちはだかっていて、経営者の次に男性という上層があり、その下で働く

という、二重の枷がありました。それさえ明確には気づかなかった、というのが

ほんとうですが。昇進というものから切り離された女性の地位は、昇給という形で

あがなわれ、上へ行くといっても女性の中で少し頭株になる、という程度のことで

した。」

 石垣さんは興銀に定年となる55歳までおつとめしたとあります。定年の頃に

は詩人としても有名になるのですが、たしか最後まで銀行でポストにつくことは

なかったはずです。

 当方が学校を終えて仕事についたのは1974年ですので、その年代には石垣

さんのような高等小学校を卒業し、最初は給仕という職種で採用されたベテラン

の事務員さんがいましたです。

 その当時は職員のお茶入れは、給仕さん時代からのならわしで女性職員の役割で

ありました。

 給仕さんがやっていた役割を、女性職員全体で担うということになったときに、

当時の意識高い女性職員の中からは、給仕がやっていたことを、どうして私たち

がやらなきゃならないのさと声があがったとのことです。

 それから半世紀もたって、女性の会社での働き方はずいぶんと変わっているの

ですが、そうした時代にあって、まだまだ不十分であるということと同時に、

石垣りんさんのような人たちがいて、現在があるということを思わなくては

です。

 

チケット抽選申し込み完了

 当方がひいきにしているBiSHさんの最終コンサートは6月29日に東京ドームと

いう日程が発表されたのは、昨年12月の代々木第一体育館でのことでした。

そのときに、会場にはどよめきがはしったのですが、それからこの公演チケット

販売を待つことになりました。

 ファンクラブ会員を対象とした先行予約が、先月から始まりましたが、元々

BiSHさんは、めちゃ高い特典つきチケットが販売されることで知られていて、

今回も最初に販売されたの、次に販売されたの、ともに手がでないものであり

まして、本日になって、やっと普通のチケットの申し込みを受け付けるという

ことになりです。申し込みはしましたが、抽選ですから、当たるかどうかはわ

かりませんが、まあ期待して結果を待つことにいたしましょう。

 先日にTV東京「家についていっていいですか」に登場したきゃりーぱみゅ

ぱみゅさん推しの74歳(?)の男性のパワーに刺激を受けました。好きという

ことを形にしたら、このようなことになるのかでして、当方などはとても足元

にも及びませんです。あの推しおじさんは、あまりお金に余裕はなさそうでし

たので、高額なチケットには無縁でありましょう。それでいいのかです。

 さて、お話はかわりまして、図書館から借りている赤染晶子さんの本であり

ます。とにかく作品数が少ないこともありまして、すぐに本は集まってしまい

そうです。

赤染晶子  刊行作品集

 当方が最初に読んだのは「乙女の密告」でありましたが、これはぴんとこず、

次にエッセイ集「じゃむパンの日」を入手ですが、これは京都と北海道話題で

ありますし、ユーモラスな文章で大ヒットでありました。

 それに引き続きで、図書館本から借りて作品を読んでいますが、赤染さんの

短編は、つかみのところはほんとにとってもいいのですよ。それが真ん中くら

いから難しくなってしまって、なんとなくわけわからんとなるのですね。

 これってどうしてなのだろうと思いながら、再読しようと図書館から借り

続けることにです。

 ひょっとして赤染さんが作品を発表することが出来なくなった(?)のは、

こんな小説ではだめと思ってのことなのかな。ジュニア小説で腕を磨いた

作家さんのしたたかさと比べると、赤染さんは純に過ぎたのかとも思ったり

です。せっかくのつかみの良さを、どのように展開するかで苦労したのか

です。

 絲山秋子さん絶賛の「うつつ・うつら」の冒頭からしばらくのところなん

て、とってもいいのですが、途中からすこしメタになりで、ここのところを

どう読むか、もうすこし時間をかけてみましょう。

 

やっと知っている人が

 ずいぶんと前から図書館本「進駐軍を笑わせろ!」を借り続けています。

最初はうまく読めずで、これは戻そうかと思ったのですが、書評を目にしたり、

「みすず読書アンケート」であげている人がいてで、これはなんとか読まなくて

はと思いながら、日がたっています。

 進駐軍というのは、当方が生まれた頃の連合軍のことでありまして、当方が

物心ついてからは駐留軍といわれるようであります。当方が高校の頃はベトナム

戦争時期であったこともあって、まちにあった米軍の基地は、そこそこ賑わって

いたようです。(いまは米軍基地は廃止となっています。)

 この本を見ていたらでてくるキャンプというのに、なんとなく身近に感じるこ

とです。

「その当時、食べものもなかった。米軍のキャンプに行くと食べるものがでるん

ですよ。・・いまでいうバイキングスタイル。パンにハムを挟んだり、サラダを

取ったりとかさ。・・そういうのをお土産に持って帰ったり。ただ、基地のゲー

トでは調べる。入るときはそうでもないんだけど、出るときはね。」

 これは1946年頃の米軍キャンプの様子であります。

 さすがにそれから二十年ほどたってからの基地の町で、食べものがないという

ことはなかったのですが、それでもキャンプの中にはUSAのホームドラマの世界

がありまして、国内では流通していない食品もあって、それは垂涎でありまし

たね。(いまはまったくUSAの生活文化にあこがれることはなくなっていまして、

USA流の倉庫のような大型店舗にも行きたいと思ったことがありません。)

 進駐軍の慰問で行っていた芸人さんたちは、子どものころに行っていた人を

除いては、当方は名前を聞くのも初めてで、どのような芸をするのかもわから

ないことです。

 そんななかで、やっとその芸を目にした人が登場することになるのですが、そ

の方が出てくるのは157ページのことでありました。

「少年期に米軍慰問ショーで演じた曲芸師はほかにもいるが、なかでもテレビに

よく出てお茶の間でもお馴染みだったのが、兄弟コンビの染之助・染太郎だ。」

 このお二人は、よくテレビで見ることがありました。(生では見たことはない

のですが)

 太神楽という昔ながらの芸ですが、兄の染太郎さんは1932年生まれ、弟の

染之助はその二才下とのことです。(コンビ名は染之助・染太郎であることに

注目ですね。)

 染太郎さんが亡くなってからのインタビューで、染之助さんは、次のように

語っています。

「染太郎は『成績優秀の人だった』が『芸に向かない人』で、難関の都立高校に

受かって、薬剤師になる夢も描いていたぐらいの秀才なのに、嫌いな芸事をやら

されて』いたという。染之助の曲芸にからむ染太郎の溌剌とした英語の口上には、

進学を諦めて芸の道に耐えながら生きた、当時まだ三十代前半だった兄の意地が

隠されていたのかもしれない。」

 兄弟であるからして、成立するような染之助・染太郎の芸ですが、兄貴さん

はひたすら話芸でありまして、自ら太神楽を披露することはなしでした。

 この本を読んでみて、あのお二人の役割分担がわかったような気になりです。


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捨てない生活

 本日は、町内会の資源回収日でありまして、新聞、雑誌、段ボールなどを

出すことになりです。もともと、当方はなんでもとっておく人でありまして、

これでリサイクルに回すほかは捨てないのでありますから、なんであれ探せば

どこかにあるということになるのです。

 先日に友人とメールのやり取りをしている時に、そういえば大学に入った

ばかりの頃に、同じ学科の学生で集合写真をとったよなと記しましたら、そん

なことがあったかということになって、いまでも当方のところに写真はあるよ

といったものの、この写真がどこにあるのかわからないのですね。たしかあの

あたりということで、本日はとうとう床下の室になっているところに降りて、

探してみたのですが、高校の時の写真はでてきたものの、目的の一枚が見つか

らずでありました。捜索は明日以降も続くことになりです。 

 地下の室には段ボールにはいったままの雑誌「本の雑誌」「ミュージック・

マガジン」などがありまして、これも室から出してこなくてはいけないこと

です。そのあとどうするかですね。

 1992年の「本の雑誌」が、すぐに出てきて、久しぶりに手に取ることで

す。発行人 目黒考二 編集人 椎名誠とあって、もちろん活版印刷でありま

した。

 驚くのは読者投稿欄である「三角窓口」の投稿者の年齢が若いことですね。

20代が中心で、10代の人も散見されるのですが、それから30年でありますよ。

最新号である477号の「三角窓口」を見ていましたら、20代、30代が各1人で、

メインはアラ還という感じでありますからして、「本の雑誌」とともに、

読者は年を重ねていることを実感することであります。

 これだもの、あれこれの雑誌は苦しいはずであります。最近の雑誌は付録と

いうかおまけがメインで、雑誌がついてますという感じですものね。

 ほんと、古い雑誌は見ていたら楽しくて、なかなか処分する決心がつかない

ことでありますが、この雑誌も百年後くらいにはレア本になるのでしょうけど、

あと何世代かで持ち続けなくてはいけないですね。これはなかなか難しいこと

であり。

 

なんとか最後にたどり着いたが

 ずっと読むことができずにいた黒川創さんの小説「明るい夜」でありますが、

残りが少なくなっていたこともあって、えいやっと読み続けることになりました。

200ページくらいの中編小説でありまして、いっきに読めても不思議ではない

のですが、当方にすれば、すこしはなじみの京都が舞台になっているというのに、

ちょっと苦労したことです。

 発表は2005年で、作中の時代も平成15年くらいでありますのですから、

同時代のことを書いていることになります。

 全体にぴんとこなかったのでありますが、思わず身を乗り出して(座って読ん

でいたので、乗り出したりはしなかったか)作中に入りこんだのは、登場人物の

若い女性がパン屋さんでアルバイトをするエピソードであります。

 具体的なパン作り作業についての記述があるのですが、これは週一パン職人の

当方にも参考になることでありました。

「つまり10㎏の小麦粉(これは強力粉)を、水温8℃、6750㏄の仕込み水

でこねる。これを二セット、という意味である。水も目方、つまり重さでいうの

は、パン工房の習慣であるらしい。

 業務用のミキサーでこれらをこねると、室温、摩擦熱なども加わって、生地の

温度はだんだん上がる。こね上がったとき、それが27℃前後になるように、清

田さんは仕込み水の水温を加減する。毎日のパンに同じ食感を保つには、水の分

量も、その日の湿度や季節によって微妙に増減させるらしい。」

 当方のパンこね機は、一度に800グラムくらいの粉ですから、業務用の1割

にもならないのですが、粉と水の比率などは参考になるのですね。当方のパンは、

通常は粉に対して60%でありますので、あと5%ほど増やしてもいいというこ

とで、次は65%でやってみようかな。(当方が使う粉は全粒粉ですから、それ

の割合も水分量に影響することで)

 パン屋さんのエピソードがもっとでてきたら、よかったのにです。

 これまで黒川創さんの本は、鶴見俊輔さん関係などを何冊か読んでおりました

が、小説ははじめてでありました。次にどの小説を読むか決めてはいないのです

が、池澤夏樹さん、小林信彦さんに続いて、その小説作品にはあまりなじむこと

のない文筆家ということになるかもです。