一日待てば

 昨日に岩波「図書」10月号が届かないと記しましたが、本日に外出より

戻りましたら、郵便ポストにこれが届いていました。あと一日待っていれば、

なんのこともないのに、どうして一日が待てないのかな。(まあ、ここでの

話題がないので、それで取り上げたということもありですね。)

 インターネットの普及に伴って、なにか速いことがとっても良いことである

かのような感じになっているのは、いかがなものでしょう。こういう環境をあ

たりまえと思うと、意味のないスピードを競うことになってしまって、結局は

人びとが自分の首をしめてしまうことになりますね。

 働いている人に過重な働き方を求めたり、そうでなければほとんどが機械に

置き換わってしまって、働くひとがいらなくなったりしてです。うまくバラン

スをとるというのは、本当に難しいことにです。

 話を「図書」に戻しましたら、このところ「図書」をあまり読むことができ

ていないことに愕然とすることです。以前にも記したことがあるかもしれま

せんが、当方が若い頃にすこし年長の方が、最近は「岩波『図書』などに掲載

の文章も読むことができなくなってきた」と言っているのを聞いて、まさか

そんなことはないでしょうと思ったのですが、それから40年近く経って、

当方も同じようになっています。

 四方田さんとか、青柳いずみこさんや中川裕さんのものなど、興味のある

連載はあるのにです。いつもの月に「図書」で読むことができていないのに、

単行本化されたら、それでまとめて読んでやるわいと思っても、それが実現す

るとは到底思えないことです。

 そんなわけで、「図書」連載時にすこしでも読んでおかなくては。

 青柳いずみこさんの連載は「響き合う芸術 パリのサロンの物語」という

タイトルですが、ほとんど読むことができていないうちに、連載は9回目に

はいりました。

 今月は「ポリニャック大公妃」がパリで開いていたサロンが話題となってい

ます。このサロンは19世紀末から20世紀初頭にかけて続いたものだそうで

すが、この青柳さんの文章をみますと、ちょうどプルーストの小説世界に重な

るのでありました。

 青柳さんの文章のどこかでプルーストがでていても、まったく不思議ではなく、

それを探さなくてはです。

 しかし当方のような下々のものには、こうした貴族的なサロンは縁遠いもの

でありますね。

 

「みすず」は届いたのに

 本日は自宅で荷物が届くのを待っておりましたら、あれこれと郵便屋さん

が配達してくれました。残念ながら私信はなくて、定期購読している本とか

手続きを必要とするお役所のようなところからの書類などでありました。

 定期購読の「みすず」がそのなかに含まれていたのですが、例月「みすず」

は出版社PR誌の最後に届くものでありまして、そのように考えると、岩波

「図書」どうなったのでありましょう。

 もちろん、これは当方のところだけの話でありましょうから、当方あての

「図書」はどこか脇道に入り込み道草をくっているのでしょうか。最近あまり

読むことができていないということを「図書」は感づいたかです。

10日になっても届かないときは、連絡することにしよう。

 今月に届いた「みすず」の広告をみて驚いたのは、当方がいまだに現物を

手にすることができていない松本俊彦さんの「誰がため医師はいる」が順調

に刷りを重ね、6刷となっていることでした。ずいぶんこの本は売れている

ということはわかりますが、どのような人が読んでいるのかな。

松本さんの本は、依存の当事者さんたちから支持されていても不思議ではない

のでありますが。

 さて、この本はどこで見ることができるかなと思って、図書館検索をかけて

みましたら、当方の住むところから一番遠い分館に、これがありました。

なんと、それは知らなんだ。リクエストして借りることにいたしましょう。

 

 

本日はサポート二件

 本日はお天気がよろしで午前は庭にでてミニトマトときゅうりの木を抜いて

しまい、それに続いて草取り作業を行いました。3時間半くらいでは草取りが

終わらずですが、本日は午後からパソコンサポートに出かけることにしていま

したので、この続きは、またの機会にです。

 パソコンサポートといっても、そんなに大層なことではなくて、ネット接続

ができるように設定のお手伝いをするという話ですが、それにしてもどんどん

ハードルがあがることでありまして、こんなにめんどうにして大丈夫かと思う

ことです。

 昔はもっとのどかでありましたが、セキュリティが厳しくなったことで利用者

はひどく大変な思いをするようであります。

しかし、当方はなんとかできたようでありますが、たぶん大半の人はほとんど

仕組みを理解することもできないかもしれないことです。

 本日の一つは、これまでADSLで接続していたのをサービス終了に伴い、光接

続への切り替えに伴うものです。光開通までは接続業者さんが来てしてくれるの

ですが、その先のプロバイダーを使ってのインターネット接続は自分でやってく

ださいねというふうになっていたようです。

 これをやってみるのですが、この会社は通知連絡がほとんどメールになってい

て、そのメールを開いてみなくては接続IDもわからないということです。PC環境

ではメールにもつながらないというなかで、これは本日正解にたどりつくことが

できずでした。(夜に戻ってから検索をかけて、こういう流れになっているのか

ということがわかりました。)

 たぶん、明日にはできるでありましょう。

 もう一つは、ホームページからメールなどを確認するためのログインができな

いというものです。ここの会社は、一つのIDであれこれと買い物とか決済とかを

する仕組みになっているものですから、友人からいわれてログインパスワードの

変更手続きをしようとすると、えらく大変です。数年前まで何度か経験していて、

今回も同じやり方と思っていましたら、これがなかなかその方法にたどりつけず

でありました。友人からすれば、自分はメールしか利用していないのに、こんな

大変な手続きをしなくてはいけないのかと思うとのことで、ほんとうにもっとも

な話です。 

 夜には自分のために先日にネットで申し込み、当選したチケットを受け取るこ

とになりましたが、これはチケットがスマホに送られてくるもので、紙のチケット

はないようでありまして、スマホがなければコンサートに行くこともできないと

いう時代が到来しているのですね。

猿も小蓑を

 秋も深くなりつつです。日中はお天気が良ければあたたかですが、朝夕は

そこそこ気温が下がっていて、ストーブで暖をとるのもまもなくのことでしょう。

本日はお天気が良いのに天気雨でありまして、猿も小蓑をという気分でありまし

た。

 このシーズン最後の庭の草取りと思っておりましたが、草が濡れていて、これは

明日以降に先送りすることにです。

 午前はトレーニングにいって、午後は来客があってと、本を読むことができてお

りませんでした。これからでありますが、いったい何ページ読むことができること

かです。

 そういえば、最近に新聞の新刊広告を見ていましたら、堀江敏幸さんの著書が

目につきました。芸術新潮に連載していたエッセイをまとめたものだそうです。

 どこの出版社からでても堀江さんの本を同じような佇まいでありまして、この

本の装丁も堀江さんが手掛けていらっしゃるのでしょう。(娘さんは絵かきさん

であったはず)

 これは3年ぶり待望のエッセイとあるのですが、最近は堀江さんの本は買って

いるけど読めていないという代表のようになっていて、はてさて、これは買うの

かどうかです。そのまえに当方の行きつけの本屋さんに入荷するのかもあやしい

のでありますが。行きつけの本屋にあったら、買うことにするぞ。

 

 

図書館はにぎわっていた

 図書館は本日から一ヶ月ぶりで通常業務となりです。すでに予約分について

の貸し出しは行われていたのですが、やはり開架から本を選んでカウンターで

借り出しするのが一番です。

 本日の図書館は、開館と同時にどっと利用者さんが押しかけたと地元の新聞

にはありました。行くところに困っていた人たちには、図書館はありがたい場

所であります。

 当方もおっとりで行って、ずっと借りていた本を返却して、また別の本を借り

てくることになりました。ずいぶん久しぶりでありますからして、見慣れぬ新刊

がどっとあるのではと思ったのですが、そのわりでなくて、大きな手提げを用意

していったものの、ほとんど収穫なしで、ちょっと残念なことでした。

 借りたのは、普通であれば買っていても不思議ではない中公新書の一冊であり

ました。中公新書の場合は、自分の子どものような年齢の若い人が書いている時

は購入し、図書館で借りて読むという棲み分けに、自分のなかでなっているよう

です。

 今回は著者の年齢が高いので、借りて読むことにです。

 目次をパラパラと見て、頭からまるかじりではなく、後ろのほうにおかれた

「カルチャーの時代とその終焉」をまず読んで、それから、次に興味のある章

を読んでみることにしましょう。

 吉見俊哉さんは、ちくま新書「平成史講義」でかなり辛口に失われた時代と

いっているわけですから、その立場は日本国の未来はバラ色であるなんてこと

は言ってないはずです。

 最近の後継総裁選びなどを見ても、どう考えても、この国の未来が明るいも

のとは思えないことで、首をすげ替えてうまくいくのであれば、そんな簡単な

ことはないと思うことです。

 

風雨すこし強し

 この時期は台風が発生しやすいのでありました。今年はいまのところ台風の

襲来はないのでありますが、北海道で一番有名な台風は9月の洞爺丸を沈没さ

せたものでありました。昭和29年の9月26日でしょうか。当方の記憶で

一番古いものは、この台風で自宅裏にある小さな物置の屋根がとんだというも

のですが、その時三歳半くらいでした。

 昨晩から本日の午前にかけてけっこうな雨量とすこしの風でミニ嵐の雰囲気

でした。すでに盛りを過ぎたバラの花が、バラバラと落ちまして、地面が乾き

ましたら、それの始末をしなくてはいけませんです。

 外出から戻りましたら、このところ楽しみにしています新潮社「波」10月号

が届いておりました。まずは編集後記を見てから、今月の目次に目を通すことに

です。

 目次で目をひいたのは、なんといっても宇能鴻一郎さんでありまして、特別

エッセイという扱いで、「入院すると背が高くなる」というタイトルの文章が

掲載されておりました。 

 宇能鴻一郎さんは1934年生まれとありますので、御年87歳でありますか。

ほんとに若々しい文章でありまして、その昔にたくさんの官能小説の語り口調で

鍛えられたからでありましょうか。

 今回のエッセイの書き出しは、次のようになりです。

「七月半ば、横行結腸ガンとかで二週間入院した。手術そのものは痛くない。

腰椎麻酔も腕の採血より痛くない。尿管挿入は親しい編集者が苦痛をうったえて

いただ、なんということもなかった。こちらの太さによるのかも。自慢している

のではないよ。」

 87歳でありますよ。当方の父は15年も前に86歳でなくなったのですが、

こんなポップさは持ち合わせていなかったよな。当方の友人たちも病気だとか、

老化の悩みを伝えて来る人はいるけども、「こちらの太さに」なんて書いてくる

のはいないな。

 それにしても、このエッセイは最近にでた宇能さんの「姫君を喰う話」が好評

だからこそ実現したものと思われ、なによりもご本人が喜んでいて、ごきげんな

様子が伝わってきて、この本を新潮文庫にいれた編集者さんはおおいに褒められ

ていいですね。

 宇能さんは、次のように書いています。

「退院してきたら新しい文庫本がとどいた。

 うれしい。何しろ芥川賞の『鯨神』は前の文庫から四十年たっている。内容も

徹底的な校正を経て満足すべき決定稿となった。」

 この文庫本に収録の作品のうち一つはまだ読んでいないのです。もったいなく

てと思っているうちに、あの本はどこに押し込んであるのかな。

 

公共施設は開館へ

 コロナによる緊急事態による公共施設の閉館は、明日をもって解除となる

とのことです。週末には図書館とかはかなりにぎわうのでありましょう。

ずっと借りっぱなしになっている図書館本は、返却しなくてはいけませんの

であとすこし残っているページを大慌てでめくることになりです。

 この間に借りていたのは二冊なのですが、それがなかなか読み通せずにで

ありました。一冊は、この場でも話題にした「コード・ガールズ」で、USAで

はベストセラーになったとあるのですが、このような本がベストセラーになる

というのは、USAという国はやはりたいしたものであります。

 もちろん戦勝国ということもあるのでしょうが、この時代の日本においては、

この本はどのように迎えられているのか思います。

過去には、USAのシンボル的な建物を購入したりして、USA市民の神経を逆な

でしたジャパンマネーは、現在は同じようなことをチャイナマネーにされてい

て、かりかりと苛立っているのですが。

 「コード・ガールズ」は第二次世界大戦時におけるUSA陸海軍が擁した暗号

解読部隊の活動を、それを下支えした女性たちに焦点をあてて記したものです

が、そのなかには極めて優れた能力を有する女性がいて、それについで無名の

大勢の女性たちがいたことが描かれています。

 彼女たちが取り組んだのは、ドイツや日本という枢軸国の暗号化された通信

文でありまして、それを解くためのきっかけは優れた能力の女性たちが見出し、

それをヒントに人海戦術で解読作業が行われるということがわかります。

 日本の外交官が本国に報告する電文は、それが詳細であればあるほど、敵に

とって有意義というのが、皮肉な話であります。

これに登場する日本の外交官で、一番大きく取り上げられるのは駐ドイツ大使

であった大島浩さんでありまして、その使命に忠実な報告は、すこし無邪気は

感じも受けることです。

「1943年11月、駐独日本大使の大島浩が発信したなかでもアメリカイン

テリジェンス活動にとってもっとも貴重な情報のひとつは、ブルターニュから

ベルギーにいたるフランス北西部沿岸全域でドイツが進めている要塞化につい

て微に入り細にわたり描写した、饒舌でやや興奮気味の文章だった。・・・・

 ナチスの軍隊と演習に感服していたにもかかわらずーあるいはそのためにー

大島は、連合国がナチスを妥当するために必要とする、現地でしか得られない

詳細なインテリジェンスを提供した。」

 なんとも皮肉なことでありまして、もちろん解読されていることを知ってい

たら、そのように報告はしなかったでありましょう。大島大使は、連合国が

意識的に流した偽装通信に誤って反応したドイツ軍の戦略も、母国に報告する

ことになるのでした。(これはノルマンディー上陸作戦に関して)

 日本スゴイという立場の人は、このような本を手にすることはないのでしょ

うが、一方の立場からの話を聞くだけでなく、もう一方からの話を聞くことが

重要であるということを、改めて知ることになる本であります。