本日は七夕か

 当地は七夕もお盆もひと月遅れでありまして、本日は特に七夕の行事は

なしであります。関西にすむ子どもたちが歌う「たなばたさま」の動画が送ら

れて来て、本日が七夕であることを思いだした次第です。

 というか、七夕といえば「星娘忌」でありました。拙ブログでは4月19日の

「山猫忌」(長谷川四郎さんの命日でありますね。)と、若くして亡くなった

保倉幸恵さんの命日(実際は8日であるようですが)を「星娘忌」として、過ご

すのでありました。(このどちらも、当方が勝手にネーミングしているもので

ありまして、ほとんど認知されていませんね。)

 保倉さんに関しては、このところほとんど何も新しい情報はなしでありまし

た。保倉さんが表紙モデルをしていた時代の「週刊朝日」を購入した高原

書店が店を閉めたことくらいでしょうか。

 それにしても若くして亡くなった彼女は、いつまでも若いままであります。

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    とここまで記して、一度公開してから、テレビ欄を見ていましたら、なんと

本日のBS日テレで映画「マイ・バック・ページ」の放送がありました。そのこと

に気がついたのは時には、すでに残り時間が少なくなっていましたが、この

映画の放送こそが、「星娘忌」の夜にふさわしいものでありました。

 この作品で主人公の雑誌記者(川本三郎さんにかぶる)を演じるのは、

妻夫木聡さんで、雑誌の表紙モデルとなる保倉さんを演じるのは忽那汐里

さんでした。

 その昔に映画館で一度見ただけで、映画のほうはどのようになるのかまる

で忘れていますが、このあとの時間に忽那さんは、登場しないのではなかっ

たかな。 

マイ・バック・ページ - ある60年代の物語

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明日から本場所

 明日から大相撲は名古屋場所が始まります。本場所に合わせ

我が家の「ふれ太鼓」というバラが開花します。このバラは数年前に

近くのホームセンターで600円くらいで購入した新苗でありました。

やっとこさですこし木も大きくなってきて、花も見られるようになって

きました。

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 ハーブ(ベルガモット)のなかに埋もれていますが、これから咲きますという

つぼみの時期が一番楽しみでうれしいことです。相撲のほうは、あいかわらず

ひいき力士が怪我でおやすみでしょうから、ふれ太鼓が咲いても、わくわくと

しないことです。

 昨日に図書館から借りてきた本の続きであります。

 ぱっと目について借りたものの一冊は、次のものであります。

ホスピス病棟の夏

ホスピス病棟の夏

 

  北海道出身の川村さんでありますが、生まれは当方と一週間も違わずの

同学年で、なんとなくどこかですれ違っていても不思議でないことです。

最近こちらの新聞かを見ましたら、北海道に戻ってきて、生活をしているよう

にありましたので、そうか大学を定年退職したら、老後は育った北海道で暮ら

すのが一番なのかと思っておりましたら、そうではないのでした。

 昨日にこの本をぱらぱらとページをめくっておりまして、そのことを知ること

になりました。

 書名に「ホスピス病棟の夏」とありまして、これは実録ものとなります。

ホスピス病棟に入院していたのは、川村さんの奥様とのこと。書き出しは、

2017年7月28日となっていますので、ちょうど二年前のことですか。

「今日、妻の亜子は聖路加国際病院ホスピス病棟(十階)に移った。

七階の腫瘍内科(オンコロジー)の病室(いわゆるガン病棟)から移ったの

だが、昇格(?)だが、降格(?)なのだかよくわからない。」

 ということで、川村さんの奥様は、この日にガン病棟からホスピス病棟へ

と移ることに、それからの夏の日々をこの病棟で過ごすことになるのですが、

夏が終わる前に命が尽きたとのことです。

 これは相当につらいことですが、これとくらべると後段に書かれている

ご自分の体調に関することは、まだまだ耐えられることでありまして、それに

関しては、次のように記しています。

「今まで何とも思わなかった中高年の夫婦連れを見ると、羨ましさと妬みと

悲しみが湧き上がってくるのをこらえ切れないのである。『おひとりさま』の

悲哀をしみじみ感じなければならないのだ。」

 平凡な暮らしでありましても、中高年で夫婦が一緒にいられるというのは、

幸せなことであるということを痛感するのでした。

週末のために

 本日は図書館へといって、週末読書用の本を借りてきました。この週末は

当方のところのバラが見頃を迎えていることもあって、我が家のバラまつりを

やりますので、どうぞいらしてくださいなんて、あちこちに声をかけておりまし

て、本当に花を見に来る方がいらしたら、本を読むどころではないのでありま

すけども。

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 ということで借りた本は、ごくごく軽いものばかりでありますが、本日に戻って

からまず手にしたものは、次の二冊でありました。

ヤンキーと地元 (単行本)

ヤンキーと地元 (単行本)

 

  若手の社会学者による調査ものであります。その昔であれば、こんなの

は研究者の書くものではないと言われたでしょう。こういうフィールド調査も

のが評価されるようになったのは、最近でありましょう。

 これは沖縄でヤンキーたちの生き方を調査にしたものでありまして、同じ

趣旨の研究としては上間陽子さんの「裸足で逃げる」がありますし、打越さん

上間さんともに、沖縄では岸政彦が共同研究者となっているようです。

 まったくニッチな研究でありまして、旧帝大系の社会学教室ではなかなか

こういうのは認められないでしょうね。といいながらも、朴沙羅さんのように

京都大学にもこういうスタイルの研究者がいたかなと思いました。 

家(チベ)の歴史を書く (単行本)

家(チベ)の歴史を書く (単行本)

 

 

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (at叢書)

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (at叢書)

 

  本日に手にしていた、もう一冊はまた明日にいたしましょう。

やっとでましたか

 昨日に新聞夕刊に「ラテンアメリカ文学者・翻訳家 鼓直さんを痛む」と

いう見出しがありました。鼓さんが亡くなったのは4月2日のことですが、それ

が知らされたのが4月も終わる頃になったこともあり、新聞などでの報道は

あまり大きなものにはならずでありました。

 それはないんでないかいということで、当方はここで話題としておりました。

vzf12576.hatenablog.com それから二ヶ月を経過して、ほんとおくればせでありますが、7月3日に追悼

の記事が掲載となったわけです。追悼文を寄せているのは、鼓さんの指導を

受けたラテンアメリカ文学野谷文昭さんであります。文章の最後には寄稿と

ありますので、野谷さんも、このままほってはおけないと思って、新聞社にかけ

あったのでありましょう。

 その昔でありましたら、このような重要な翻訳者が亡くなりましたら、新聞の

文化部のほうから然るべき人に、執筆の依頼がいったはずですが、最近はそ

のようなことがなくなっているとは思えないので、やはり最近の文化部では

鼓直さんの認知度は低くなっているのかな。

 野谷さんの文章から、すこし引用してみることにします。

 野谷さんは1948年生まれで、教えを受けるようになったのは大学紛争が

収まった頃のことだそうです。

「東京外大大学院で、教授たちの反対を押し切ってラテンアメリカ文学を専攻

することになり、必要な講師として鼓直先生を招いてもらった。授業は学部と

共通のテキスト購読だったので僕にとっては終了後に喫茶店で話し込むこと

こそが授業だった。」

 このくだりを読んだだけでも、「先生とわたし」のようではないですか。これに

続いてのところでは、次のようにありです。

スペイン語文学への関心は本国が中心で、『ドン・キホーテ』やロルカがもっ

ぱら対象だった当時、先生は『百年の孤独』と取り組んでいたはずだ。1967年

グアテマラのアストウリアスがノーベル文学賞を受賞したものの、革命文学の

作家とみなされていた。先生はその『緑の法王』という小説も訳している。

でも本領を発揮するのはガルシア=マルケスの代表作と出会ってからである。

冒頭を果てしなく書き直したとその時の担当編集者から教えられたが、ガル

シア=マルケスの作品は冒頭が重要なので、必要な作業だったはずだ。」

 1970年を迎えるころまではラテンアメリカ文学なんて、ほとんど認知されて

いなかったのですね。当方もどこかで触れているはずですが、篠田一士さんが

ロジェ・カイヨワがフランス語に翻訳したボルヘスを読んで感激して、それを

翻訳して発表したのが1959年頃のことでありましたから、あの時代にラテン

アメリカ文学に取り組もうなんて人はほとんどいなかったはずであります。

「不死の人」を翻訳でだしたのは、土岐恒二さんで篠田さんのお弟子さんの

英文専攻の方でしたからね。

 そういうところに登場したのが、鼓直さんであったのでありました。それから

は、スペイン語で書かれた現代文学作品というと、ほとんどラテンアメリカ

ものをいうようなことになってしまいました。

 ほんと新しい天体というのは、このことでありますか。

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本日到着せり

 先日に三月書房のページを見ていましたら、編集工房ノアさんから山田稔さん

の随筆選が刊行になったとでていました。

http://3gatsu.seesaa.net/article/467611526.html

 当方は、この本がでたら送ってくださいとノアさんにお願いをしておりましたの

で、京都と当方のところの距離と時間差を考えると、そろそろ届くかなと思って

いましたら、本日帰宅しましたら、届いておりました。ノアのご主人に感謝でありま

す。

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 当方は山田稔さんのファン歴が長くて、そろそろ50年近くになります。

以前も記したことがあるはずですが、まだ学生であった頃に、どの小説家を

追いかけようかと思っておりました。ちょうどその時に、山田稔さんの「教授

の部屋」と丸谷才一さんの「たった一人反乱」が新刊ででて、さてどちらを

選ぼうかと思って、当方は山田稔さんにしたのですね。それ以来なのか、

そのちょっと前からなのか、ちょっと記憶はあいまいですが、最初に読んだ

のは「スカトロジア」であったのかもしれません。

 それからは、東の小沢信男、西の山田稔をずっとであります。(これは、

開高健がいったという東の長谷川四郎、西の富士正晴の次世代となる

ことです。)

たぶん山田稔さんは翻訳と論文をのぞくと、ほとんど全部架蔵しているは

ずでありまして、今回の随筆選に収録のものは、単行本未収のものを除く

とすべて持っているはずであります。(読んでいるといえないのが残念で)

 山田稔さんの随筆集は、文庫とかになっていても不思議でないのであ

りますが、こういうシブイのは最近は売れないのでありましょうか、つくづく

残念に思っていましたら、さすがにノアご主人であります。

 かっての川崎彰彦さんの言葉ではないですが、山田さんも「ノアはぼく

のホームグランドだから」であります。

 この随筆選(自選集)は、1となっていまして、ということはこのあと続々と

でるはずでありまして、これらもあわせて売れること願っています。

最近の新刊から

 昨日に書き込みをいただいたのですが、そこには藤原辰史さんの新刊

「分解の哲学」がでたとありました。 

分解の哲学 ―腐敗と発酵をめぐる思考―

分解の哲学 ―腐敗と発酵をめぐる思考―

 

  発行日は先週の25日ことですから、ちょうど店頭にならびはじめた

ところでしょう。この本の広告が新聞一面のさんやつにあって、当方は

それと一緒に掲載されていた、もう一冊に目がいっていました。

 注目の一冊は、次のものとなります。 

回想の伊達得夫

回想の伊達得夫

 

  中村稔さんの新刊であります。思わず中村稔さんはおいくつになられた

のだろうと思って検索をかけてしまいました。1927年1月のお生まれとあり

ますので、92歳となりましたか。

 弁護士としても著名で、詩人・評論家としても多くの業績を残している才人

でありますが、当方は2004年に刊行された「私の昭和史」を読んだきりで、

そのあとは読めておりません。これはたぶん、旧制高校くらいまでのところに

当方の関心があったからでしょうか。

 経歴とか交友を知りましたら、雲の上の人のような感じですが、書物を通し

てでありますと、なんとなく親しみを感じることができます。

中村さんには「故旧哀傷 私が出会った人々」青土社 2017という本があり

まして、これは書店で立ち見をしましたが、これには弁護士として出会った人

についても書かれていましたし、文学関係の人もいたはずです。

 今回の本は、ユリイカ伊達得夫さんに絞っての話でありますから、今の時代

に当事者として伊達さんに関わった人は、ほかにほとんどいなくなっているの

で、まことに貴重なものとなっています。

 これはどこかで入手を考えなくてはいけないですね。ユリイカと伊達さんに

関しては、こんな本がでていましたです。 

長谷川郁夫さんの「われ発見せり 書肆ユリイカ抄」 

詩人たちユリイカ抄 (平凡社ライブラリー (558))

詩人たちユリイカ抄 (平凡社ライブラリー (558))

 

 

書肆ユリイカの本

書肆ユリイカの本

「明日の友」を受けて 3

 あわてて藤原辰史さんの「給食の歴史」を読むことになりです。ずいぶんと

前にこれを購入したことを記したかと思いますので、まだ読んでいないのかと

つっこまれそうですが、ほんと読むのが遅いのだよな。

 読まなくてはと思ったのは、このままであれば読む機会を逸してしまいそう

なことと、先日に自分の住んでいるまちの学校給食のセンター化と、それの

業務委託をめぐる反対運動(1970年代なかごろのこと)のことを話題にして

いたことなどのためです。

 学校給食の運営のやり方には、学校ごとに行う自校式、二つの学校がどち

らかで調理する親子式、セントラルキッチンのような調理場から複数の学校に

配送されるセンター方式などがあります。ちいさな単位で運営されるほど

行き届いているとすると自校式がベストで、それは調理規模が拡大されるに

従って作っている人と食べる子どもたちの距離が遠くなることになりです。

 少子化で子どもたちを大切にという世の中になっても、給食のセンター方

式をやめて、自校式へと戻そうという動きが見えてこないのは、残念なことで

あります。(自校式の場合は、学校ごとに調理場が必要になりますからね。)

 空腹を満たすではなく、どのような食材を使ったものを食べるかというのも

給食の目的になってほしいものです。添加物のたくさんはいった加工食品と

カット野菜ではなくてであります。

 そうした意味では、農村地帯にある小規模校は学校給食の優等生が多い

ようであり、中途半端な大きさの町の給食はひどく貧しいかもしれません。

 そんなことを思いながら、「給食の歴史」を読むことになりです。

「明日の友」の対談で、徳永さんから「あなた、反体制だな」といきなりつっこ

みを受ける藤原さんでありますので、この「給食の歴史」でもその立脚点には

揺るぎがありません。

「給食の歴史を研究して何より驚いたのは、全国各地で合理化やセンター方

式に対する抵抗・抗議運動が何度も粘り強く繰り返されていたことだった。

戦後の給食は、完成の『学校給食打ち切り反対』運動のみならず、行き過ぎ

た合理化をめぐる親、とくに二十代から三十代の母親たちや栄養士たちの

異議申し立てとその実現の歴史でもあった。」

 やはり当事者が声をあげるのが一番重要でありますね。このところすっかり

新自由主義的政策(規制の緩和など)に慣れっこになってしまっていますが、

それで世の中がよくなっているのかを、もっと検証しなくてはです。「給食の

歴史」は、批判的な立場からですが、それがなされています。

 あわてて、この本を読んでいるのは、先日にいったバラ公園でみかけた

講演会のちらしのせいでありました。

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 当方の住んでいる町から二時間ほどのところで、今月21日午後に藤原さんの

講演会があるとのことを知りました。うーむ、これはめったにない機会であるなと

思ったのですが、さて、どうなりますか。