いよいよその時が 2

 はてなダイアリー2019年春にサービス終了するということで、結構波紋が広がっ
ているようです。ダイアリーのユーザーには、案内のメールが届いているとのこと
でありますが、当方のところにはいまだ届かずであります。いつか、届くのであり
ましょう。
 どちらにしても、当方ははてなのサービスを受け続けようと思っておりますので、
はてなブログとは、どんな使い勝手であるのか、それからどんな雰囲気になるのか
なと、テストしてみることにしました。
 なんのことはない、ダイアリーの管理画面からブログ作るというアイコンを押す
と、すぐにブログの画面が開いて、日記を書くということになりです。記事を書く
こと自体は面倒ではなさそうです。
 さて、こちらのブログにダイアリーをとり込もうとして、インポートを試みよう
としましたら、現在アクセス集中で、インポート作業は出来ないように制限がかか
っていました。別に急ぐわけではありませんので、そのうちにインポートできるよ
うになりますでしょう。
 写真を貼り付けたり、アマゾンとのリンクをはったりするのは、やはりブログの
ほうがやりやすいようです。そうでなくては、だれも使わないよなですし、当方が
ダイアリーでストレスを感じていたことの背景もわかってくることです。
 しばらくは、公開を目的ではなくて、お試し用として、非公開であります。
 月かわりとなって、出版社のPR誌が届いています。
 今月の出版案内で一番目を引いたのは、「一般書店ではお買い求めいただけませ
ん。」と注がついた新潮社のもの。
 「林忠彦生誕100周年作品BOX『無頼』」
 このBOXについては、写真家林義勝さん(林忠彦さんの息子さんとのこと)が次の
ように書いています。
「父の写真のプリントが欲しい、と乞われることがありますが、一般の市場にでるこ
とはまずありません。もし仮にこの8枚のオリジナルプリントが出たとしたら、かな
り高額なものになるでしょう。そこで今回、父の写真を愛してくださるファンの方々
に向けて、プリントをアーカイバルという手法のデジタル版画で再現してみました。
何度もテストを重ね、写真プリントの魅力を損なうことなく、版画ならではの柔らか
な階調で、満足のいく作品に仕上がりました。販売部数は120に限定、シリアル
ナンバーを付し、高橋睦郎氏の解説と、父が書き残した撮影時のエピソードなどを
まとめた小冊子を添えます。ちょっと高価な作品集ですが」
 「無頼」というのですから、太宰、安吾、織田作、田中英光など8名など。値段は
12万円ですが、これにとられている8人すべての人のファンという人にとっては、
むしろ安いくらいでしょう。太宰一枚だけほしいという人にとっては高いかもしれ
ませんが、新潮社「波」9月号の表紙にある太宰の写真をみましたら、この写真を
ほしいという熱心なファンは多いのではないでしょうか。そうなりますと、120
なんてすぐに埋まってしまいそうです。
 詳しくは新潮社の以下のページですね。もちろん、当方には縁のないものであり
ます。
http://www.shincho-shop.jp/shincho/goods/index.html?ggcd=snc01875&cid=zenshu 

いよいよその時が

 昨日にどなたかのアンテナにひっかかっているブログの見出しをみたら、はてな
ダイアリーが2019年春にサービス終了とありました。予想されていたことではあり
ますが、いよいよ正式にアナウンスされました。これからもはてなサービスを利用
される方は、順次はてなブログへと移行してくださいということです。
 うーむ、当方もどこかの時点ではてなぶろぐへの引っ越しを考えなくてはいけな
いようです。(このアナウンスをうけて、現在はものすごい人たちが移行作業に
入っているとのことでして、これが落ち着いてからですね。)
 以前にもはてなダイアリースマホで見ると、思ったように表示されなくて不満と
記したことがあるのですが、はてなさんがブログとダイアリーの両方を同じように
提供するのは、無理がありますね。
 それにしても、無料のサービスを10年以上にもわたって使うことができるという
のはありがたいことですね。当方はグーグルのピカサとか、グーグルプラスという
サービスを利用しているのですが、こちらははっきり商売でありまして、商売とし
てのうまみがなくなったら、サービスが終了したり、使えてもメンテナンスが終了
したりであります。
 このグーグルとくらべますと、はてなのほうがずっと良心的ではありますよ。

テレビをつけていたら

 だらだらとテレビをつけていましたら声優のTARAKOさんの声が聞こえてきました。
BSでやっています「鉄道旅」という番組でありました。
TARAKOさんといえば、まるちゃんでありまして、まるちゃんといえばさくらさんと
つながっていきました。それにしても、さくらさんまだお若いのに亡くなって残念
なことであります。
 とはいうものの、当方にとってさくらさんといったらまるちゃんよりも、ももかん
に収録されたエッセイでありました。ずいぶん前のことになりますが集英社が発行し
ているPR誌「青春と読書」に連載されていたのですね。これを読んで、そのおかしさ
にぶっとんだ記憶があります。
 当方にしては、珍しいこと単行本となったのを機に「もものかんづめ」を購入し、
当時中学生であった子どもたちと回し読みすることになりました。子どもたちも、
これの「メルヘン翁」などを気に入って、さくらさんのエッセイ集は子どもたちの
蔵書となって、今も我が家にあるのでした。コミックのまるちゃんにはほとんど縁が
ないのでありますが、我が家でもさくらさんは、人気でありました。
 さくらさんは、小説を書いてもかなりの売れっ子になったでしょうが、才能ある人
がコミックの世界へと進むようになったのは、このあたりからでありましょうか。

もものかんづめ

もものかんづめ

本日の新聞から

 今朝の新聞には磯崎憲一郎さんによる「文芸時評」が掲載されていました。
 書き出しは、次のようになりです。
NHK連続テレビ小説『半分、青い』を観ていて、どうしても覚えてしまう違和感、
という表現では足りない、ほとんど憤りにも近い感情の、一番の理由は、芸術が日常
生活を脅かすものとして描かれていることだろう。」
 文芸時評の書き出しでNHKの連続ドラマへの憤りに近い感情を吐露するとは、なか
なかない展開であります。これを見た人は、どのように感じるでありましょうね。
若い人で新聞の文芸時評に目を通す人は、ほとんどいないかもしれませんが、この
時評は若い人にむけて、次のようにつながっていきます。
「これから芸術に携わる仕事に就きたいと考えている若い人たちのために、これだけ
はいって置かねばならない。芸術は自己実現ではない、芸術によって実現し、輝くの
はあなたではなく、世界、外界の側なのだ。」
 途中で「目くじらを立てる必要もないのかもしれないが」とはさんではいるのです
が、ドラマの脚本家の描き方に異議申し立てであります。
 磯崎さんは、つい何年か前までは大手商社に勤務していて、在職中に芥川賞を受賞し、
現在は東京工業大学教授とのことです。
当方は会社員が書いた小説が芥川賞を受けたと話題になったことから、読んでみようか
なと思いながら、そのままで現在にいたっています。
 今回の時評で取り上げているのは、磯崎さんとは親しい関係にある保坂和志さんの
新作「ハレルヤ」でありました。
 それにしても、磯崎さんすこし真面目過ぎやしませんかね。「半分、青い」ではなく
て、「まるで、青い」と、したたかな女性脚本家のねたになりそうであります。

ほぼ二ヶ月かな

 本日図書館へといって、長谷川郁夫さんの「吉田健一」を返却してきました。
7月上旬から借りていましたので、ほぼ二ヶ月にも読書期間は及びました。なんと
か読むことができてよかったことです。しかしちょっと読むのに時間がかかりすぎ
で、これはいけませんですね。
 本を返しにいったら、新刊がならんでいる棚をチェックですが、本日はちょっと
軽い目の小説本を二冊借りてくることになりです。

空港時光

空港時光

 温又柔さんの新刊となります。小説作品が二作収録で、昨年に発表された「空港
時光」と2012年に発表された「音の彼方へ」ですが、この作家さんのものは、まだ
すこしフォローすることにいたしましょう。
 もう一冊は堀江敏幸さんのもの。
オールドレンズの神のもとで

オールドレンズの神のもとで

 もともと当方は、堀江敏幸さんのものは、すべて買いであったのですが、このと
ころ何冊かは購入を見合わせであります。刊行点数が多くて、買うのが大変になって
いることや、あまり食指の動くものがないということからです。
 今回は、図書館にありましたし、小品をまとめたもので読みやすそうなので、ひさ
しぶりに手にしてみたのですが、読んでみたら、どうでありましょう。

脱兎のごとく

 すでに返却期限を何日か過ぎている長谷川郁夫さんの「吉田健一」でありますが、
図書館が開館する明日には返さなくてはで、本日は走り読みで、なんとか最後まで
たどりつきました。
 吉田健一さんは、ずっと気になっているのですが、垂水書房からでた著作が古本
屋でゾッキ本として販売されていたころには、そのあとで評価が高くなるとは思っ
てもいなかったことですね。
 この長谷川さんの本は、年譜にしたがって吉田健一が出来上がるまでを著述して
います。吉田健一さんが首相の御曹司 自称乞食王子から、メジャーな存在へと
転換したのは、復刊した「ユリイカ」に「ヨーロッパの世紀末」を連載することに
よってということがわかります。1969年6月のことになります。
吉田さんにすれば、それまでの垂水書房から刊行したものと、特に違ったものでは
ないのに、やっと時代がついてきたということになるのでしょうか。
 当方が吉田健一さんに注目をするようになったのも、この頃でありました。しかし
文学論とか文明批評は、とってもなじみにくいこともあって、購入しても読む事が
できませんでした。「書架記」「交遊録」など、この時代にはずいぶんと買い続けた
ことです。
 いちばんなじめたのは「私の食物誌」「酒肴酒」のような気軽に書かれたエッセイ
でありました。
 これじゃいかん、やっぱり吉田健一さんの岩波文庫にはいったものとか、小説の代
表作を読まなくてはと、何十年も思い続けていて、いまだできてなしです。
そんなところに、この本がでたのでありますので、もっと早くに読むのでしたが、読
むきっかけが長谷川郁夫さんの新刊がでるのにあわせての新潮「波」編集後記で吉田
さんの著作を出し続けた垂水書房に言及していたからであります。
 長谷川さんは、この本を書くにあたって、その後の垂水書房主人に接触し、吉田さん
にも垂水書房とのことを質問しています。このあたりは、当方にとって、この本のハイ
ライトとなりました。
 長谷川さんがやっていた小沢書店からは、生前に何冊かの著書を刊行し、1974年に
二冊本の選集(小説を除く)をだすことになりです。
 この時のことを長谷川さんは、次のように書いています。
「全評論集とはいえ何か簡潔で洒落た書名を付けたいと考えて、吉田さん自身の批評を
一語で表して欲しいと申し出ると、即座に『ポエティカでしょう』との返事。名刺の裏
にサインペンでPoeticaと書いてくれた」
 たぶん、この時に書かれた「Poetica」は、次のものでしょう。

 これは小沢書房が月報ということでだしていた冊子の題字からスキャニングしたもの
でありますが、この月報を見ましたら、「題字 吉田健一」とあります。
この月報は二年ほどで刊行が中止となったのですが、残念ながら吉田健一さんの特集が
組まれることはありませんでした。

普段に戻るか

 本日に来客は帰っていきまして、またいつもの日常となるはずでありますが、
に戻ると、あちこちにがらくた(大半は本とパソコンなど)が積まれることに
なり、これは同居人の顰蹙をかうことになります。
 まあぼちぼちと普段の生活に戻せばいいか。
 この時間は、TVで「古典芸能への招待」を見物中であります。本日は「高麗屋三代
襲名披露公演」から「口上」と「勧進帳」を取り上げています。さすがにおめでたい
舞台でありまして、「勧進帳」は、親子孫の三代で、脇を大看板の役者がつとめて
います。
 そういえば、その昔は高麗屋といえば、歌舞伎では東宝の制作する舞台にでていた
のであったよなと思いながら、この放送を見ることです。最近に事情があって購入し
た「松竹と東宝」で、高麗屋に関するところを拾い読みです。

 ぱらぱらとページをめくっていましたら、一番最後のところに、それがでていまし
た。
「帝劇は昭和41年9月に新築され、10月1日からが開場披露歌舞伎公演となり、
東宝へ移籍した幸四郎一門の他、六代目歌右衛門、十七代目勘三郎、二代目松緑らも
でた。この公演で幸四郎の次男で初代吉右衛門の養子となっていた中村萬之助が二代
吉右衛門を襲名した。
 幸四郎としては、この新しい帝劇で、かって亡父・七代目幸四郎が数々の新しいこ
とに挑んだように、古典歌舞伎をしっかり上演し、さらに新しい歌舞伎を作りたかっ
たようだ。
 結局、幸四郎一門は昭和47年に東宝との専属契約を打ち切り、フリーとなったが、
実質的には松竹への復帰だった。幸四郎の実兄、十一代目團十郎も戦前の東宝劇団に
加入したので、これで七代目幸四郎の三人の息子のうち二人が松竹から東宝へ移籍し、
二人とも松竹に戻ったことになる。」
 このあとに、昭和56年10月の高麗屋三代の襲名のことが記され、それに続いて
平成30年に37年ぶりの三代襲名の話題となっています。
 それにしても九代目幸四郎は「松竹の歌舞伎公演に出る一方で、東宝の帝劇で
ラ・マンチャの男』などのミュージカルの公演も続けた。同時期に松竹・東宝
双方でトップスターとして活躍する唯一の俳優といっていい。」とあります。
 なかなか九代目幸四郎を越えるのは大変なことであります。