普段に戻るか

 本日に来客は帰っていきまして、またいつもの日常となるはずでありますが、
に戻ると、あちこちにがらくた(大半は本とパソコンなど)が積まれることに
なり、これは同居人の顰蹙をかうことになります。
 まあぼちぼちと普段の生活に戻せばいいか。
 この時間は、TVで「古典芸能への招待」を見物中であります。本日は「高麗屋三代
襲名披露公演」から「口上」と「勧進帳」を取り上げています。さすがにおめでたい
舞台でありまして、「勧進帳」は、親子孫の三代で、脇を大看板の役者がつとめて
います。
 そういえば、その昔は高麗屋といえば、歌舞伎では東宝の制作する舞台にでていた
のであったよなと思いながら、この放送を見ることです。最近に事情があって購入し
た「松竹と東宝」で、高麗屋に関するところを拾い読みです。

 ぱらぱらとページをめくっていましたら、一番最後のところに、それがでていまし
た。
「帝劇は昭和41年9月に新築され、10月1日からが開場披露歌舞伎公演となり、
東宝へ移籍した幸四郎一門の他、六代目歌右衛門、十七代目勘三郎、二代目松緑らも
でた。この公演で幸四郎の次男で初代吉右衛門の養子となっていた中村萬之助が二代
吉右衛門を襲名した。
 幸四郎としては、この新しい帝劇で、かって亡父・七代目幸四郎が数々の新しいこ
とに挑んだように、古典歌舞伎をしっかり上演し、さらに新しい歌舞伎を作りたかっ
たようだ。
 結局、幸四郎一門は昭和47年に東宝との専属契約を打ち切り、フリーとなったが、
実質的には松竹への復帰だった。幸四郎の実兄、十一代目團十郎も戦前の東宝劇団に
加入したので、これで七代目幸四郎の三人の息子のうち二人が松竹から東宝へ移籍し、
二人とも松竹に戻ったことになる。」
 このあとに、昭和56年10月の高麗屋三代の襲名のことが記され、それに続いて
平成30年に37年ぶりの三代襲名の話題となっています。
 それにしても九代目幸四郎は「松竹の歌舞伎公演に出る一方で、東宝の帝劇で
ラ・マンチャの男』などのミュージカルの公演も続けた。同時期に松竹・東宝
双方でトップスターとして活躍する唯一の俳優といっていい。」とあります。
 なかなか九代目幸四郎を越えるのは大変なことであります。