本日の新聞から

 今朝の新聞には磯崎憲一郎さんによる「文芸時評」が掲載されていました。
 書き出しは、次のようになりです。
NHK連続テレビ小説『半分、青い』を観ていて、どうしても覚えてしまう違和感、
という表現では足りない、ほとんど憤りにも近い感情の、一番の理由は、芸術が日常
生活を脅かすものとして描かれていることだろう。」
 文芸時評の書き出しでNHKの連続ドラマへの憤りに近い感情を吐露するとは、なか
なかない展開であります。これを見た人は、どのように感じるでありましょうね。
若い人で新聞の文芸時評に目を通す人は、ほとんどいないかもしれませんが、この
時評は若い人にむけて、次のようにつながっていきます。
「これから芸術に携わる仕事に就きたいと考えている若い人たちのために、これだけ
はいって置かねばならない。芸術は自己実現ではない、芸術によって実現し、輝くの
はあなたではなく、世界、外界の側なのだ。」
 途中で「目くじらを立てる必要もないのかもしれないが」とはさんではいるのです
が、ドラマの脚本家の描き方に異議申し立てであります。
 磯崎さんは、つい何年か前までは大手商社に勤務していて、在職中に芥川賞を受賞し、
現在は東京工業大学教授とのことです。
当方は会社員が書いた小説が芥川賞を受けたと話題になったことから、読んでみようか
なと思いながら、そのままで現在にいたっています。
 今回の時評で取り上げているのは、磯崎さんとは親しい関係にある保坂和志さんの
新作「ハレルヤ」でありました。
 それにしても、磯崎さんすこし真面目過ぎやしませんかね。「半分、青い」ではなく
て、「まるで、青い」と、したたかな女性脚本家のねたになりそうであります。

ほぼ二ヶ月かな

 本日図書館へといって、長谷川郁夫さんの「吉田健一」を返却してきました。
7月上旬から借りていましたので、ほぼ二ヶ月にも読書期間は及びました。なんと
か読むことができてよかったことです。しかしちょっと読むのに時間がかかりすぎ
で、これはいけませんですね。
 本を返しにいったら、新刊がならんでいる棚をチェックですが、本日はちょっと
軽い目の小説本を二冊借りてくることになりです。

空港時光

空港時光

 温又柔さんの新刊となります。小説作品が二作収録で、昨年に発表された「空港
時光」と2012年に発表された「音の彼方へ」ですが、この作家さんのものは、まだ
すこしフォローすることにいたしましょう。
 もう一冊は堀江敏幸さんのもの。
オールドレンズの神のもとで

オールドレンズの神のもとで

 もともと当方は、堀江敏幸さんのものは、すべて買いであったのですが、このと
ころ何冊かは購入を見合わせであります。刊行点数が多くて、買うのが大変になって
いることや、あまり食指の動くものがないということからです。
 今回は、図書館にありましたし、小品をまとめたもので読みやすそうなので、ひさ
しぶりに手にしてみたのですが、読んでみたら、どうでありましょう。

脱兎のごとく

 すでに返却期限を何日か過ぎている長谷川郁夫さんの「吉田健一」でありますが、
図書館が開館する明日には返さなくてはで、本日は走り読みで、なんとか最後まで
たどりつきました。
 吉田健一さんは、ずっと気になっているのですが、垂水書房からでた著作が古本
屋でゾッキ本として販売されていたころには、そのあとで評価が高くなるとは思っ
てもいなかったことですね。
 この長谷川さんの本は、年譜にしたがって吉田健一が出来上がるまでを著述して
います。吉田健一さんが首相の御曹司 自称乞食王子から、メジャーな存在へと
転換したのは、復刊した「ユリイカ」に「ヨーロッパの世紀末」を連載することに
よってということがわかります。1969年6月のことになります。
吉田さんにすれば、それまでの垂水書房から刊行したものと、特に違ったものでは
ないのに、やっと時代がついてきたということになるのでしょうか。
 当方が吉田健一さんに注目をするようになったのも、この頃でありました。しかし
文学論とか文明批評は、とってもなじみにくいこともあって、購入しても読む事が
できませんでした。「書架記」「交遊録」など、この時代にはずいぶんと買い続けた
ことです。
 いちばんなじめたのは「私の食物誌」「酒肴酒」のような気軽に書かれたエッセイ
でありました。
 これじゃいかん、やっぱり吉田健一さんの岩波文庫にはいったものとか、小説の代
表作を読まなくてはと、何十年も思い続けていて、いまだできてなしです。
そんなところに、この本がでたのでありますので、もっと早くに読むのでしたが、読
むきっかけが長谷川郁夫さんの新刊がでるのにあわせての新潮「波」編集後記で吉田
さんの著作を出し続けた垂水書房に言及していたからであります。
 長谷川さんは、この本を書くにあたって、その後の垂水書房主人に接触し、吉田さん
にも垂水書房とのことを質問しています。このあたりは、当方にとって、この本のハイ
ライトとなりました。
 長谷川さんがやっていた小沢書店からは、生前に何冊かの著書を刊行し、1974年に
二冊本の選集(小説を除く)をだすことになりです。
 この時のことを長谷川さんは、次のように書いています。
「全評論集とはいえ何か簡潔で洒落た書名を付けたいと考えて、吉田さん自身の批評を
一語で表して欲しいと申し出ると、即座に『ポエティカでしょう』との返事。名刺の裏
にサインペンでPoeticaと書いてくれた」
 たぶん、この時に書かれた「Poetica」は、次のものでしょう。

 これは小沢書房が月報ということでだしていた冊子の題字からスキャニングしたもの
でありますが、この月報を見ましたら、「題字 吉田健一」とあります。
この月報は二年ほどで刊行が中止となったのですが、残念ながら吉田健一さんの特集が
組まれることはありませんでした。

普段に戻るか

 本日に来客は帰っていきまして、またいつもの日常となるはずでありますが、
に戻ると、あちこちにがらくた(大半は本とパソコンなど)が積まれることに
なり、これは同居人の顰蹙をかうことになります。
 まあぼちぼちと普段の生活に戻せばいいか。
 この時間は、TVで「古典芸能への招待」を見物中であります。本日は「高麗屋三代
襲名披露公演」から「口上」と「勧進帳」を取り上げています。さすがにおめでたい
舞台でありまして、「勧進帳」は、親子孫の三代で、脇を大看板の役者がつとめて
います。
 そういえば、その昔は高麗屋といえば、歌舞伎では東宝の制作する舞台にでていた
のであったよなと思いながら、この放送を見ることです。最近に事情があって購入し
た「松竹と東宝」で、高麗屋に関するところを拾い読みです。

 ぱらぱらとページをめくっていましたら、一番最後のところに、それがでていまし
た。
「帝劇は昭和41年9月に新築され、10月1日からが開場披露歌舞伎公演となり、
東宝へ移籍した幸四郎一門の他、六代目歌右衛門、十七代目勘三郎、二代目松緑らも
でた。この公演で幸四郎の次男で初代吉右衛門の養子となっていた中村萬之助が二代
吉右衛門を襲名した。
 幸四郎としては、この新しい帝劇で、かって亡父・七代目幸四郎が数々の新しいこ
とに挑んだように、古典歌舞伎をしっかり上演し、さらに新しい歌舞伎を作りたかっ
たようだ。
 結局、幸四郎一門は昭和47年に東宝との専属契約を打ち切り、フリーとなったが、
実質的には松竹への復帰だった。幸四郎の実兄、十一代目團十郎も戦前の東宝劇団に
加入したので、これで七代目幸四郎の三人の息子のうち二人が松竹から東宝へ移籍し、
二人とも松竹に戻ったことになる。」
 このあとに、昭和56年10月の高麗屋三代の襲名のことが記され、それに続いて
平成30年に37年ぶりの三代襲名の話題となっています。
 それにしても九代目幸四郎は「松竹の歌舞伎公演に出る一方で、東宝の帝劇で
ラ・マンチャの男』などのミュージカルの公演も続けた。同時期に松竹・東宝
双方でトップスターとして活躍する唯一の俳優といっていい。」とあります。
 なかなか九代目幸四郎を越えるのは大変なことであります。

届いた本

 ここ何日か遊ぶのに忙しくて、本を読むのはふとんで横になって、居眠りするまで
長谷川郁夫さんの「吉田健一」を読むのみです。これはだいぶんページが進みまして
なんとか読了が近づいてきました。当方は、この本を吉田健一さんと垂水書房の天野
さんの「交遊録」として読んでいるのですが、そういうことからは目的が達せられた
ようであります。(それにしても、もうちょっと短くともいいのにな。長谷川さんの
著作は、すべてこんな感じでしょうか。長谷川さんの本で最初に読んだのは、まだ
小沢書店をやっていらした頃に発表した伊達得夫さんのものでありました。版元は
書肆山田)
 先日の来客は購入を依頼してあった「ぽかん」7号を持参してくれて、これが土産
かわりとなりました。今年は「ぽかん」の臨時増刊も入手できて、なかなかうれしい
ことであります。おやじたちがさかだちしてもできないようなリトルマガジンで、
ほんと良い意味で「素人の怖さ」であります。
 もう一冊、本日にゆうメールで届きましたのは、武蔵野美術大学図書館に注文して
あった図録「背文字が呼んでいる 編集装丁家 田村義也の仕事」であります。
この図録の入手について、今でも可能のはずと書き込みをいただいて、すぐに図書館
に問い合わせをし、購入手続きをしたところ、最短で手にすることができました。
 この図録には編集するにあたり以下の文献を参考にいたしましたとあって、三冊
あがっていました。
 「のの字ものがたり」 朝日新聞社   1996
 「田村義也 編集現場115人の回想」 刊行会 2003
 「ゆの字ものがたり」 新宿書房    2007
 田村ファンにとって上記の三冊は必携でありまして、今回の図録はこれに続くもの
となります。ひょっとしてSUREから鶴見俊輔さんの「敗北力 増補版」を入手しなけ
れば、この本の確保がさらに遅れたことでしょう。
 まさに本が本を呼ぶであります。

台風のなか来客あり

 台風接近のなか、空港が閉鎖になるまえにすべりこみで間に合った便を利用して関
西から来客がありました。当初に予約していた便は機体のやりくりがつかなかったの
か欠航となりましたが、運良く次便に乗ることができ、予定よりも1時間半近く遅れ
ての到着です。それでもこられてよかったこと。
 そんなこんなで、遊ぶのに忙しいことであります。ちょうどチコちゃんと同じくら
いの年でありまして、叱られることはないのですが、どうしてどうしての鋭いつっこ
みにたじたじとなっています。
 先日に書店で購入した「文藝春秋」9月号には、「孫と読みたい一冊」という特集
がありまして、それをながめておりましたが、本をあげている諸氏はいずれも当方よ
りも年長でありまして、当然のこと孫といっても高校生くらいにはなっていそうでな
選書であります。
 本日はチコちゃん世代との時間で、一緒に読んでいたのは文庫本で、ついていた帯
に象が描かれていたものです。これはなんの絵だろうかということで、ひらかなで書
かれた詩を読むことになりました。

 「ぞうさん」を読めば、そのうちに替え歌となり、「ドロップスの うた」を読む
と節をつけて歌い出すことに。これはすごいと思ったら、「ドロップスの うた」は
TV番組「おかあさんといっしょ」でも良く歌われているものだそうで、これは知りま
せんでした。
 世代を超えてうたいつがれる「まど・みちお」さんの作品であります。いまさらで
はありますが、すごいぞ「まど・みちお」を実感しました。

本日は本屋へ 2

 本日といっても昨日の話となります。昨日は収穫が大きくて、それを何日か話題
とすることができです。
 ということで昨日に買った本の続きとなります。

 古山高麗雄さんの新刊となりです。これまででたエッセイ集から荻原魚雷さんが
選んだアンソロジーです。もとになったエッセイ集は、ほとんど持っているように
も思うのですが、持っていることイコール読んだことにはならずですので、これを
機会に読めるのが良いことです。
 この選集の目玉は、最後におかれている「裸の群」でありましょう。荻原さんが
見つけてきた、これまでどこにも収録されていない文章のようです。1949年に
「雄鶏通信」に発表された小説で、古山さんの芥川賞受賞作「プレオー8の夜明け」
の先行作品ともいうもののようです。
 古山さんが亡くなったのは2002年ですので、16年が経ちますが、良き理解
者に恵まれて、忘れ去られることはないようです。
 古山さんは亡父と同じ生年でありまして、亡父は今年に13回忌を済ませました。
父なんかと比べると、古山さんはどこまでいってもエリートではあるのですがね。