あしかけ3ヶ月にわたって図書館から借り続けている本でありますが、
これはほとんど読むことができていなくて、いくらなんでもそれはないよなと
思うことです。
ページを開くとなんとなく読むことができそうなのですが、なかなか中に
はいっていくことができずです。これで駄目であれば、図書館に返すしかな
いかなと、本日はつまみ読みを敢行で、はじめにに目を通した後は、一番
興味を感じた節談説教について書いてあるところを読んでみることにです。
「節談説教とは、江戸時代の浄土真宗に発達した独特な節を伴う説教で
ある。節談説教の先行研究については、関山和夫による一連の研究が挙げ
られる。関山自身によって洗練されていった定義の一つを紹介しよう。
節談説教とは、ことばに節(抑揚)をつけ、洗練された美声とゼスチャーを
もって演技的表出をとりながら、聴衆の感覚に訴える詩的、劇的な『情念
の説教』をいう。」
仏教の法話を節をつけて語るのでありますね。これは江戸時代に発達した
のですが、明治時代にはいると徐々に衰退したとありです。
「上部の学僧たちが檀家制度を離れて近代的な教義に沿った発展を望んだ
ことにあるが、それだけでなく、映画やラジオなどの娯楽の普及によって大正
時代には廃れ初め、戦後は説教を聞く必要が失われたことにもある。」
このあたりは関山和夫さんの説を、著者が引用しているところの孫引きと
いうことになりますが、これは鈴木聖子さんの「掬われる声、語られる芸」と
いう本にあるものです。
節談説教とはどんなものかと、興味はあったのですが、なかなかとっかかり
がなくて、本日にやっと鈴木聖子さんの本の、それに関するところを流し読み
して、それにあわせて動画で、現在も節談説教を行っている僧の語りを目に
することにです。
子どもの頃に、父親がラジオから録音した「歌入り観音経」という浪曲を
聞いたことを思いだすのですが、節をつけて語られると、より気持ちがのる
ようであります。