立ち寄った分館で

 昨日にいつもは行くことのない図書館分館に立ち寄りました。家人が図書館

本のネット予約をするための手続きに行ったものです。一番最初の登録だけは

ネットでできずに図書館ネットにつながっている施設に行かなくてはいけません。

そんなわけで買い物途中にありました分館に入ったわけです。

 家人が手続きをしている時に、当方は書棚を見ることになりです。以前に何度

かこの分館にしか架蔵していない本を借りるために来たことがありますが、その

本は池内紀さんの本でしたが、年に何度かは池内さんの本を読みたくなること

です。ただ、この日は、思うものがなかったので、これは断念し、他のものを探す

ことにです。

 そう思っていたら、以前から読みたいと思っていたものが見つかりました。

 札幌育ちの保坂さんが、中学生のころに越境して汽車通学してた頃に、同じ汽車

に乗って同じ中学に通っていた一年先輩のN氏とのことを書いた本です。

保坂さんとしては珍しく初出は「群像」でありまして、回想録という感じのエッセイで

あります。

 保坂さんは1939(昭和14)年生まれで、育ちは札幌といっても、子どもの頃は

白石村といわれたところでありまして、1950(昭和25)年に札幌と合併しますが、

あくまでも周辺地区で、そのせいもあって教育熱心な家庭では、子どもを旧制中学

が前身の高校に通わせるべく、越境して市内の名門中学に通わさせていたわけで

す。(当時の札幌の高校学区は、完全な小学区制でありまして、居住地によって、

進学できる高校は限られていたのですね。)

 結局のところ、保坂さんは越境のかいもなく、希望する学校は受験することが

できず、決められた学区の高校に進学し、N氏はうまく第一希望の高校に進学で

きて、進路は別々になったのですが、この同じ列車に通っていた数年間に強い影

響を受けたという話になります。

 N氏とは西部邁さんのことでありまして、札幌時代のところには、保坂、西部と

あわせて唐牛健太郎さんなども登場するのでありますからして、すごい時代なの

ですね。

 保坂さんは、進学した高校について、このように書いています。

「むろん入学した高校も、勉強する生徒は多かった。しかし、この高校に進んで

困ったのは、知り合いがまったくいないことであった。同じ中学からは4、5人いた

のであろうが、話したこともない連中だった。しかし私にはこれは僥倖でもあった。」

 この高校は、当方にとっては馴染み深いところでありまして、札幌に住んでいる

年長のいとこたちが通っていたところであります。保坂さんとは通学時期はかぶら

ないようでありますが、ちょうど保坂さんが卒業してから入学したくらいの年齢差

でありまして、学校の雰囲気はほとんど同じであったでありましょう。