子どもの頃の札幌の話

 図書館から借りている保阪正康さんの「Nの廻廊 ある友をめぐるきれ

ぎれの回想」を読んでおりました。

 保阪さんが中学生の頃に汽車通学で出会ったNさんこと西部邁さんとの

交流を綴ったものですが、これが中学生のころの札幌と長じてからの東京での

場面が重なりあっていきます。

 中学校の汽車通学時代には、お互いに70代になって交流を重ねていようと

思ったかどうかです。それにしても、このような友情というか交流の仕方がある

というのが驚きでありまして、西部さんというえらく難しい人との永年の交流か

ら、保阪さんは得るところが多かったのでありましょう。

 こうした稀有な人との交流を描いた本というのが、まずありまして、その背後

にはまだ小さな都市であった札幌の風土が描かれています。

 当方は、保阪さんよりもちょうど一回り下の卯年でありますので、保阪さんが

中学校に通い始めた頃に、当時の豊平町で生まれたました。この本に掲載の

昭和30年頃の札幌地図でありましたら定山渓鉄道の沿線ということになりです。

 札幌市内ではなくて、札幌郡で生活していたということで親近感があります。

当方の本籍はおじが暮らしていた札幌大通りの長屋に置かれていたのですが、

それはかっての戸主制度のなごりでありまして、当方はその本籍地には遊びに

はいっておりましたが、住んだことはありませんでした。

 それもこれも、この本を読むことを楽しくさせてくれるのです。

 保阪さんの本の終わりのほうに、次のようなくだりがあります。

「四丁目交差点の一角に立って目を閉じるや、中学生のころに見た風景がすぐ

に浮かんでくる。どういう建物があったか、記憶は綺麗に整理されていた。

目を瞑るとそれらが浮上してきて、わたしはひとり雑踏のなかでその光景を

スケッチ風に思い描いているのであった。・・

 僕が初めて四丁目に降りたのは、すすむさんに誘われてのことだった。

『丸井のニュース映画を見ていくか』

 アメリカや日本のニュース映画社が制作する週単位のニュースが上映され

ている。いまの言いかたでならテレビニュースをまとめて一挙に放映するような

ものだ。」

 通っている中学校から国鉄札幌駅まで市電を利用するのですが、一番の

繁華街である四丁目で途中下車して、丸井今井という百貨店にあった映画

館に立ち寄るという話です。

 すすむさんは一学年上ですので、保阪さんは中学2年くらいでしょうか。

そう考えると、これはだいたい昭和28年のことになります。

このとき、当方はすでに生まれていることです。当方は子どもの頃は病弱であ

りまして、田舎から札幌の丸井近くの小児科にかかっていたということです。

たぶん受診をいやがったのでありましょうね。無事に診察が終わったら、

そのあとは丸井今井の映画館に連れていってもらったようです。うっすらと記憶

がありますので、5歳くらいになっていたのでしょう。保阪さんが足を運んでいた

時から数年後のことでありました。

 札幌が急激に様子を変えていく前の話でありまして、花森安治さんが惜しん

だ、かっての札幌となります。