なんとか回復せり

 昨日の夜は右耳が不調で青ざめました。このままの状態がずっと続けば、音楽を

楽しむどころか会話もできなくなると、とりあえず安静にして早くに休むことにで

す。夜中にどって寝汗をかいていて、起き出して着替えをすることにです。風邪を

ひいているわけでもないのにです。

 今朝起きたときには、昨晩よりもすこし良くなっているかなと思いましたが、

まずは耳鼻科へと行って受診することにです。7月に左耳の難聴で入院治療して

もらった病院で検査を受けて診察をしてもらいましたら、前回の検査結果と比べる

と高いところの聴覚が落ちてはいるものの、その他はほぼ同じで、この状態であれ

ば入院治療の必要はないとのことで、安心することにです。

 はてさて、昨夕からの右耳の不調の原因はなんだろうと思うことです。

(強いストレスがかかっていたのでしょうが、どうやらそれは先月29日に亡く

なった友人のところにお参りにいって、自宅に戻る時に、友人宅でうろうろと

していた彼がついてきたのであるのでしょうかね。

彼が大事にしていたレコードやCD、書籍などを処分する相談にのっていたから

な。

気分を害したかなと、ほとんど霊の存在を信じる年寄りのごとくであります。

本日の午後には、状態は戻りましたので、除霊してくれたのは耳鼻科の医師と

いうことになるのでしょう。これは、笑い話ということで。)

 今回の右耳不調で入院ということになったら、どのような本を持っていこう

かなと、今朝は真剣に考えていました。そういう時のためにということで

フロスト警部」ものを未読にしていますので、それなど候補でしたが、

一週間では一作二冊では足りないなとも思ったものです。これはまるで杞憂に

おわりました。

 本日の受診の待ち時間に開く本としては、このところ読んでいる

「ジャズで踊って」を持参しました。待ち時間があまりなかったので、あま

りページを稼ぐことはできませんでした。

 この本を読んでいて、これまでのところ一番の収穫は「大正・昭和の外国人

ジャズメン」とあるところの冒頭部分。

「大正時代にダンス音楽をはじめミュージシャンたちが手近な手本としたのは、

来日した外国人ジャズメンだったが、なかもで数が一番多いのは、フィリピン

楽士だった。・・

なかには日本人の妻子とともに永住して、長く元気にプレイした人もあった。

その大半は日本語もうまく、おそらくあらゆる日本の文化領域のなかで、外国

人がこれほど溶けこんでいっしょに仕事をした例は、ジャズ界をおいてないの

ではなかろうか。」

 フィリピン人のバンドマンは上海でメジャーになり、日本に進出してきたと

あります。

日本のジャズマンのお手本は戦前はフィリピン人であったのですね。

当方が若い頃にはレイモンド・コンデとかビンボー・ダナオさんの名前をよく

聞いたのですが、どうして彼らがメジャーなのかは、よくわかっておりません

でした。

そうして、この流れのなかにジェイク・コンセプションもいるわけですね。

 ジェイクはFM番組のウェイティングバーという番組に登場していましたが、

著名なSax奏者でありまして、一番知られているのはユーミンのバックバンドに

参加していることで、ユーミン荒井由実を歌うというライブアルバムには顔出し

してますが、当方の好きな曲「霧雨で見えない」でも素晴らしいソロを披露して

います。