夕方からトレーニングへ

 野暮用から戻って、すぐにトレーニングへと出かけることにです。市の施設という

こともありまして、70歳を超えましたら利用料がかからないというありがたさ。

当方の住まいから、車で10分もかからないことから、通うのも苦にならないこと

です。

 本日はいつものメニューでアップ5分、バイク5分、マシン30分で、ランニング

マシン25分というコース。ウェイトをかけてのマシンは最大57.5キロで、

ランニングマシンは早足で、傾斜をつけて平均時速6.1キロでしたので、25分く

らい歩くとけっこう汗がでることです。

 終えて戻ってから、体重をチェックしてそこそこ水分が抜けているのを確認して、

夕食後にデザートをいただくことにです。

 このところ、自家製のタルトタタンがありますので、それをいただくことになり

です。

我が家のタルトタタン  参考にしているのはグレーテルのかまどのもの

アイスクリームを添えて 我が家はスーパーカップ

 自画自賛でありますが、なかなか美味しそうでしょう。作るのに時間がかかること

もありまして、一年に一度か二度でしか作ることはありません。その都度、どうする

のだったかという話になります。型から外すのが、すこしこつがいります。

瀬川昌久さんの「ジャズで踊って」を手にしています。いまだ昭和初期の日本のジャ

ズシーンのところでありますので、登場する人物はほとんどまったく知らない人ばか

りであります。

 そもそも、大正から昭和にかけてどのようにして洋楽系の音楽が起こってきたか

なんてことも知らないのでありますからね。

 瀬川さんは、次のように書いています。

「日本のジャズの先達の最古参として、井田一郎の名を忘れることはできない。

彼こそは、ジャズ音楽を職業として成立させ、またその努力をした草分けであっ

た。」

 当方などは、そこそこ古い人の名前を知っているほうですが、それでも井田一郎

さんは初めて目にしました。井田さんは明治27年生まれで、明治43年には16歳

三越の音楽部に入ったとあります。

「昭和の日本ジャズの推進者には、この少年音楽隊の出身者が非常に多い。しかも

流行歌やセミクラシックなどの横道にそれることなく、ジャズの道を歩んだ最も骨

のある本格ジャズメンをたくさん出したのである。それはおそらく、非常に若くして

音楽隊に入り、軍隊式のきびしい教育を受け、楽器の奏法を懸命にマスターしたの

ち、ジャズに魅せられてダンスバンドに入ったので、はじめからジャズにかける

情熱が、クラシック畑や映画館の楽士とはちがっていたからではないだろうか。」

 昭和初期の話でありますからね。「軍隊式のきびしい教育」というのもまるで違

和感なしでありましたでしょう。なんといっても、それを乗り越えなくては仕事に

つけないのでありますからして。

 日本の育成システムのなかには、この「きびしい教育」というのが、いまだあち

こちに残っているのですよね。特に歴史のながい業界などには、昔からの育て方が

伝統として定着していたりです。たとえば、問題となった相撲部屋がそうで、この

ところ話題になっている「女の園」もそうなのでありましょうね。