追悼 赤瀬川原平さん 3

 赤瀬川原平さんの亡くなったのにあわせるかのように展覧会が開催され、赤瀬川さん
のことを特集した「文藝別冊」も刊行されています。
自分は、このへんでなくなるはずだから、そのときくらいにあわせて、いろんな企画を
やってみてよとでも、生前にいっていたような感じであります。(または、お仲間たち
が、静かに世をさるというのは赤瀬川さんらしくないと仕掛けたか)
 展示は千葉市美術館と町田市民文学館で、同時に行われているのですから、これは
普通では考えられないことです。いってみたい気がするのですが、期間中に足を運ぶ
ことができるでしょうか。
 赤瀬川原平さんを特集した「文藝別冊」のほうは、近くの本屋でめでたく入手する
ことができました。

 これの編集後記には、「今回の特集にあたり、赤瀬川氏の採録作品や本文内図版の
提供など、松田哲夫さんにはとりわけお世話になりました。記して感謝申し上げます。」
とありました。赤瀬川さんの特集をするとなると、松田さんが関わらないでというのは
考えにくいことであります。
 おかげで、当方がまた見てみたいと思った「現代の眼」1973年1月号付録の「大日本
民主帝国論壇地図」を眼にすることができました。雑誌サイズの見開き二ページを
使っているのですが、はっきり読むことができないのは残念ですが、いったいどのくら
いの人がこの論壇地図にはのっていたでしょう。この地図を制作したことについては、
松田哲夫さんの文章で触れられていましたです。(「編集狂時代」のほうでしたか。)
 この特集ではじめて赤瀬川さんの年譜を見ることができました。当方が足を運んだ
「京都書院」での展示について書いてあるかと思ってみましたら、「昭和46(1971)年
九月、京都書院四階ホールで『立体櫻画報』展』。」とありました。
 あれから43年でありますか。(71年の手帳が残っているのですが、夏を前にして、
記するのが終わっていて、この展示があった頃は白紙となっていました。)