「アンアン」でつながる

 本日の新聞朝刊に掲載の「語る 人生の贈りもの」中野翠さんの6回目は

「『アンアン』にため息 師と出会う」と見出しにありました。

 当方は、昨日に椎根和さんの「49冊のアンアン」を話題にしたのでありま

したが、まるでシンクロしたかのように、今朝の見出しです。

 椎根さんの本は、堀内誠一さんのアートワークに焦点をあてて、創刊からの

49冊を取り上げていますので、そこで取り上げられるのは写真は題字などの

ビジュアルなのですが、ここではテキストのことはほとんど話題にならずです。

わずかに三島由紀夫矢川澄子工藤直子などの名前が目に入ってくるぐらい。

 ここにひいた名前が、中野翠さんの文章の師であるはずもなしでありまして、

本日の新聞には、次のようにありました。

「週に数日、PR誌の制作現場で働いていたとき、同僚から紹介された。『アン

アン』以外の編集や執筆をいっぱい抱えて、手が回らなくなったのね。

彼女の指揮のもと、都内のショップの特集企画の仕事に何度か声がかかった。」

 中野さんの声をかけてくれた同僚が「後に『アンアン文体』と呼ばれる文章

を生み出した三宅菊子」とありました。

(ちなみに中野さんが三宅さんを師と仰ぐのは、駆け出しのころに三宅さんから

「写植の人が苦労しないように字はハッキリ書かなきゃいけない」と言われ、

中野さんは今もそれを守っているからだそうです。)

 椎根さんの本を読んでいても、三宅菊子さんの影は薄いのですが、三宅さんの

薫陶を受けた女性たちが、後に大きな存在となるようです。

 椎根さんの本には、次のようにありました。

フリーランスのライター淀川美代子、野田敬子、歌代千代子は、組合対策とし

て編集集団『三宅菊子事務所』所属だということにされていた。平凡出版労働

組合は、雑誌は社員だけで制作するものという主張をけして変えなかった。

すこしでもフリーライターの姿が目立つと、団交で編集長をジワジワといじめて

いた。」

 組合向けに「三宅菊子事務所」所属といえば、それで納得してもらえる存在で

あったということで、これは興味深いことであります。

 淀川美代子さんは、アンアン編集部に十年以上在籍し、その後オリーブ編集長、

アンアン編集長を務めたのだそうです。

なるほどな、三宅菊子さんを切り口にして、「アンアン」を語るということもで

きるということですね。

49冊のアンアン