雨があがったら

 本日は朝から雨になりです。朝一番でパンの仕込みをして、午前のうちに

散歩にでましょうと思っていたのですが、結局雨があがったのはお昼過ぎに

なってしまいました。

 西のほうから青空が広がって、さて散歩へと外にでて、いつもの散歩道に

でましたら、あちこちから多くの人が散歩道に流れ込んできました。

とはいってもありがたや田舎の散歩道でありまして、密になることもなしで、

本日のノルマである1万歩をクリアすることができました。中くらいの田舎の

町は住み心地がよろしであります。満員電車にも縁がないし、食べ物と空気

がおいしいし。

 このところ音楽動画ばっかりで時間を費やしていて、さっぱり本が読めて

いないことであります。図書館から借りてる本も、ブックオフで買った本も、

新刊で購入したものも、積まれたままであります。これはいけないよね。

 昨日に野暮用から戻るときに行きつけの本屋によって、新刊本がはいって

いないかなと思ったのでした。ラッキーなこと、目指す本が一冊あって、これを

ありがたく購入することになりです。 

また、本音を申せば

また、本音を申せば

 

  小林信彦さんの最新刊となります。週刊文春の連載をまとめたものです

が、当方は週刊誌掲載時には、まったく読んでいないこともあって、ほぼ初め

て読むものばかり。2017年から2019年にかけてのものです。ちょうどこの

連載の時期に小林さんは病気で倒れることになります。

生還

生還

 

 週刊文春のエッセイは、17年5月4日号で中断して、18年7月26日号で復活

をとげることになりです。

 それにしても、よくぞ復活したものでありまして、このあたりが戦中派という感じ

で、戦争を生き残った人は強いことであります。この生への執着は見習わなくては

いけないことです。

 もちろん、戦争をくぐってきた人ならではの発言もありです。TBSで放送があっ

た「この世界の片隅に」についてです。小林さんがひいきにしている松本穂香さん

が主演しているから熱心にみたとあって、そのあとに次のように続きます。

「ただ、小さなことではあるが、ヒロインの結婚に集まった男たちが国民服をあまり

着ていないのは何故だろうか、と思った。私の父など、柄にもなく、カーキ色の国民

服を着て町内の会合にでていたのを、当然のように私は見ていた。父は軍国主義

者というわけではなく、当時の慣習に従っていただけだ。昭和19年ともなれば、世

の中は国民服一色だったと記憶している。どうでもいいことかもしれないが、ほん

のひとこと。」

 どうでもいいことといったら、時代考証なんていらなくなりです。当時の軍人に

長髪がいなかったように、総力戦体制になってからは学校はほとんど授業をしな

いで作業ばかりになっていましたし、服装も時勢にあわせたものとなっていました。

そうでなければ、非国民といわれた人たちがスーツにネクタイというスタイルを

貫いたということの意味がわからなくなってしまいます。

 ここは、小林信彦さんよりも年長である小沢信男さんの「水町教師」の一節を

引用することにしましょう。

「昭和16年12月8日の開戦以来、わがR中学校は、いやがうえにも質実剛健

なり、尚武の気風は五月の鯉のぼりよりも高く、連日校庭には号令叱咤の声が

ひびきわたり、配属将校をはじめ、柔道・剣道・体操の体育関係の教師達は意気

軒昂として、頭がめりこむほどに両肩つきあげのっしのっしと横行闊歩し、それに

ひきかえあわれをとどめたのは、音楽教師だった。・

 音楽の水町教師は、その柔弱の見本とされたのである。彼は無造作にかきあ

げた髪の毛がパラリと白皙の額に垂れさがるのが、得意らしかった。春と秋には、

眼がさめるような派手な水色のスプリング・コートを着て、痩せた胴をベルトで

キリリと鉛筆ほどの細さに締めあげ、パッパッと裾をけとばしながら校門をまっす

ぐに入ってきた。若々しい空気がサッと舞い込む快さはあったけれども、他の教師

達が国民服にゲートルをダブダブに巻きつけ、戦闘帽をチョコンとのせてよたよ

たと入ってくるのにくらべると、眼に立ちすぎるキライがあった。」

 戦時下の旧制中学校の雰囲気ですが、音楽の水町教師はいかにも我が道を

行くという感じですが、もちろんこれはひどく批判を浴びることになるのでありま

すよ。

 今よりもずっとずっと順応することが求められたわけですからして。