数か月に一度は西村賢太さんの本を手にしたくなりですが、当方のブログでは
ほとんど毎月のように話題にしていることでありまして、当方はそんなに西村賢
太さんのことが好きであったのかなです。
あまり他の人に勧めることもないのでありますが、西村さんはずいぶんと本が
でているのに、新刊で入手できる本が少なくて、これも西村さんの不徳のいたす
ところなのか、それとも西村さんの戦略であったのかと思うことです。
いましばらくは新刊として入手できるものも、それが品切れになったら、入手
は困難になるのかな。(普通でありましたら、著作者が亡くなりましたら、その
権利はどなたかが管理することになるのですが、没後に刊行された本の出版許可
はどなたがなさっているのでしょう。)
とりあえず、没後に刊行された二冊(今も新刊で流通しているもの)を図書館
から借りだして、再読しています。
アマゾンでリンクがはられているのは電子本のほうでありまして、これなら
ほぼ品切れにはならないのでしょうが、できれば紙の本にリンクしてほしかった
ことです。
この本には短編小説三つが収録されていますが、表題作となるのは3ケ月前に
「文學界」に発表されたものですが、年齢のせいであるのか、体調に不安を感じ
ていたからなのか、なんとなく元気のなさを感じることで、その分、しんみりと
して読むことになります。
西村さんが師と仰ぐ藤澤清造の亡くなった場での感慨ですが、次のように描か
れています。
「後始末こそ行政の手を煩わせはしたが、治療や延命のために結句無駄となる
金を一銭も使うことなく、死出に際しても誰に面倒をかけるわけでもなしに一人
であっさりと旅立った最期は、<能登の江戸っ子>を自任し、現代の戯作者を
気取った該小説家には変に似つかわしい印象がある。その作同様の悲惨、陰鬱の
中にもどこか突き抜けたユーモアと、妙な潔さとが含まれている。」
なんとまあでありまして、生前にこのように師の亡くなりかたについて記して
いるのですが、西村さんは見事に師匠をなぞって亡くなったといえるでしょう。
あまり毒がなくて物足りない感じにもなりますが、西村さんは、自分の亡くな
るのが近いと思っていたのでありましょうか。