ちょっと迷って買った本

 先日に行きつけの本屋さんへと行って、今月の文庫新刊をチェックしており

ました。なかをのぞいてみたいなと思っていたのは、ちくま文庫からでた

「疾走! 日本尖端文學撰集」(小山力也編)でありましたが、残念ながら、

これはすでに買われていましたです。行きつけの店には、当方がほしいと思う

ちくま文庫を買う同好の客がいるらしく、何度か後塵を拝しております。

一度、その方と遭遇したいものであります。(こちらの本は、いまだほかの店

で確認出来ていないのですよ。)

 ということで、どうしようかなとちょっと迷って買ったのは、次の河出文庫

でありました。

 「半七捕物帳」の作者として知られている綺堂さんでありますが、生まれたの

は1872(明治5)年ということですから、周りは江戸に生まれた人ばっかし

でしたね。この文庫の帯には、「生誕150年)とありまして、昨年に刊行を

めざしていたのでしょうかね。

 当方は、いまだ「半七捕物帳」には縁がなくて、今回に綺堂さんのものを購入

したのは、岩波文庫からでている「ランプの下にて」を読んで面白かったからで

あります。

 年寄りの昔語りというのは好きでありまして、それは自分が年をとったからで

あるのかもしれません。

 綺堂さんの「思い出草」にある「獅子舞」という話からの引用です。

 綺堂さんのいうところの本当の「獅子舞」というのは、次のようなものです。

「先ず一行数人、笛を吹く者、太鼓を打つ者、鉦を叩く者、これに獅子舞が二人、

若くは三人附添っている。獅子を舞わすばかりでなく、必ず仮面を被って踊った

もので、中には頗る巧みに踊るのがあった。」

 その昔(明治10年代後半のこと)には、お屋敷にこの獅子舞を呼んで、その

時ばかりは、ご近所の人たちにもそれを公開していたお金持ちもいらしたとの

ことです。そうしたお邸は、明治30年頃には取り壊されたとのことです。

「元園町は年毎に栄えてゆくと同時に、獅子を呼んで小児に見せてやろうなどと

云うのんびりした人はだんだんに亡びてしまった。口を明いて獅子舞を見ている

ような奴は、一概に馬鹿だと罵られる世の中となった。眉が険しく、眼が鋭い

今の元園町人は、獅子舞を観るべく余りに怜悧になった。」

 「口を明けて」となると、最近のネット民たちは、どのように表現されるの

でありましょうね。