明治の女性たち

 当方が物心ついた頃に、おばあさんと呼ばれていたのは、ほぼほぼ明治に生ま

れた女性たちでありました。

 当方の祖母もその一人でありまして、生まれたのは1896(明治29)年で、

作家の宇野千代さんよりも一つ上となります。宇野千代さんは亡くなるまで若々

しく、美貌を保っていましたが、あの方をおばあさんと呼ぶ人はいなかったよう

であります。

 昭和40年代くらいまでのおばあさんといえば、小柄で、いつも地味な着物を

着ていて、じっとがまんをする人というイメージが、当方にはあります。

これは当方の祖母を見ていて感じたことかもしれません。それでいきますと、

がまんしない、派手、目立つ宇野千代さんなんて、まったく例外的な存在である

ことです。

 なかなか最近の若い人には、明治の女性の雰囲気は伝わらないですよね。

最近のTVドラマを見ていても、明治生まれの女性が登場するような家庭ドラマ

はないことですから。

 そんなことを思いながら、最近再放送している朝ドラ「本日も晴天なり」を

見ていましたら、うれしいことに明治生まれの女優さんが、明治の生まれの女性

を演じていました。

 この女優さんは、若い頃はハイカラな役も演じていたのですが、当方が見る

ようになってからは、おばあさん役が専門になっていました。

本日も晴天なり 原泉さん

 実に久しぶりにTV画面にカメラをむけて、映像を写真に収めることになりま

した。本当は原泉さんの素敵なアップを見ていただこうと思ったのですが、この

回には適当なものがなしで、原さん演じる波津さんが、孫(役者は鹿賀丈史)が

仕事中の事故で大けがをしたと聞いて、松江から東京に見舞いにでてきて、病室

に入ったところのシーンとなります。

 まさに当方が思い描く明治の女性でありますね。(とはいうものの、どうやら

旧家の奥様だった人ですので、教養があって、着ているものも上等ですが)

 松江というのは、原泉さんの出身地でありますので、お国言葉も見事でありま

して、ほれぼれとしながら、彼女の登場回を楽しんでおります。

 当方と同年代の人には原泉さんといえば、あああの人ねとなるのですが、この

再放送を見ている人は、どのくらい注目してくれているでしょう。

もちろん、原泉さんは中野重治夫人でありまして、中野重治さんが奥さんにあて

た書簡をまとめたものも刊行されていたことです。

 そういえば先日にNHKで放送のあった「そして、水色の家は残った」を見ていま

したら、子どもの頃に、この家に遊びにいった人ということで、声だけでしたが、

原泉さんの一人娘 卯女さんが登場したようです。これは再放送で確認しなくては

です。