「悪い仲間」だった頃

 荻原魚雷さんのブログを拝見していましたら、本日が古山高麗雄さん

の誕生日(しかも生誕百年となる)であることがわかりました。

gyorai.blogspot.com 1920(大正9)年というのは、当方の亡父と同年生まれでありま

して、安岡章太郎さんも同じ年に生まれとなります。

 当方が生まれるはるか前に若くして亡くなった祖父は、事業に失敗

して、大きな借金を家族に残していました。一家の大黒柱が亡くなった

ことで、一家は離散の憂き目にあいますが、まだ若かった祖母が出面

(日雇いのことです)仕事にでて、家計を支え、亡父はやっとこさで

小学校の高等科を終えて、それから苦学(?)して教員となったと聞い

ています。最後はなんとかハッピーエンドであったのかもしれませんが、

その背景には、小学校をでてすぐに奉公にでた伯父の支援もあったとの

ことです。

 そうした育ちの亡父と比べますと、父親が開業医であった古山さんと

か、軍隊の獣医で高官であった安岡さん、大会社の役員候補の倉田さん

の育った環境は、まるで別世界のもので、亡父の家族やまわりをみまわ

しても、旧制中学校に進学したという人は、ほとんどいないのでした。

 昭和の初め頃の田舎では、亡父のような暮らしというのは珍しくも

ないことでありまして、むしろ古山さん、安岡さんの世界のほうに違和

感を覚えるのでありました。

 このように思えるのは、当方が年齢を重ねたせいでもありまして、この

年齢で安岡さんの「悪い仲間」などを読んだらどんな印象をもつでしょう。

当方は、二十代になった頃から安岡作品に親しみ、その後古山さんの作品

も読んできたのですが、彼らの生きてきた時代は亡父と重なるのですが、

その生きてきた道はまったく違うことです。

 彼らの息子の世代にあたる当方は、苦労人の亡父への反発もあってか、

安岡とか古山の生き方に惹かれたのでありますが、亡父はどう思ったろうな

と思います。(たしか、安岡作品は読んでもらったことがあったはずですが。)

 亡父が晩年に好んで読んでいたのは、藤沢周平さんのものでありまして、

それは藤沢さんの生い立ちなどに共感するものがあったからでしょう。

亡父は、小学校の頃には、これ以上落ちようもない生活をしていたわけです

から、そのような生活では脇目もふらずに生きなくては、まったく将来の展

望が開けなかったのでしょう。

 そんなこんなことを思いながら、本日は荻原魚雷さんが編集した中公文庫

「編集者冥利の生活」を手にしてみました。

編集者冥利の生活 (中公文庫)

編集者冥利の生活 (中公文庫)