その昔のお金持ちは

 本日も市内の本屋へと足を運んで、鹿島茂さんが今月にちくま文庫からだした

神田神保町書肆街考」を探したのですが、他のちくま文庫はすべて在庫してい

るのに、鹿島さんのものだけ見当たらずです。これは入荷していないということ

も考えられると店員さんに、尋ねてみましたら案の定でありまして、入らなかっ

たようです。取り寄せいたしましょうかといわれましたが、ここは行きつけの

お店ではないし、お断りすることに。それにしても、ちくま文庫に関してはほぼ

入荷する、この店にしても入らないということは、市内の他店は全滅でありま

しょう。最近の配本事情の厳しさでありますね。

 ほんとその昔の行きつけの店でありましたら、翌月の新刊リストなどを見て、

あらかじめ注文をだしたりもしたのですがね。そんなお付き合いができる店員

さんもいなくなりです。

 そんなわけで脇村義太郎さんの「東西書肆街考」と「趣味の価値」をひっぱり

だしてくることになりです。いずれも岩波新書でありますが、最近は脇村さんの

本を手にする人も少ないでありましょう。

 脇村さんは和歌山の資産家の出身でありまして、学者ということになりますが、

その一方で、古書籍や美術品の収集も行っていたようで、そうでもなければ、

「趣味の価値」というような新書を書けるはずもなしです。

 ウィキペディアによりますと、脇村義太郎さんの「蒐集品の多くは郷土の田辺市

立美術館に、他には神奈川県立近代美術館などに収蔵されている。」とあります。

さて、どんな作品があったのかな。

 田辺市立美術館の収蔵品を見てみましたら、佐伯祐三、中村彝なんて作品が脇村

さんの寄贈によるものとありました。すごいコレクションであるようで、このよう

なコレクションするにいたった話を読んでみたいものです。

 本日は脇村さんの「趣味の価値」の「美術蒐集家としての石油人」という章を

読んでみることにです。

 日本の石油人に言及しているところがありまして、そこに次のようにありました。

「日本の石油人が美術品市場に登場してきたのは大正時代といったが、厳密には秋

田の諸油田が開発されたり、越後の新津の油田が開発されはじめてからのことであ

る。・・・今日まで美術品市場にコレクターとして名をのこした日本の石油人とし

ては、松方幸次郎、小倉常吉、中野忠太郎、新津恒吉、出光佐三の五氏をあげるこ

とができる。」

 へえーそうなんだ松方幸次郎さんも元々は石油業界の人であったのか、今は松方

コレクションで知られていますが、他は出光佐三さんは有名でありますが、小倉、

中野、新津の三方は、まったく名前も知らずであります。

 ほんと蒐集するよりも、それを後世にまとまった形で伝えていくほうが大変な

ことで、自ら美術館を設けたのは、出光佐三さんだけであります。

 脇村さんは、次のようにかいています。

「美術品の蒐集を維持するには、美術館を設けるのがもっとも賢明な途であるが、

公開美術館の経営発展は蒐集よりさらに数倍の困難がともなうものといわれてい

る。石油界のためにも、美術界のためにも出光美術館の健全な発展を希望するが、

それにはひろい大衆の支持が必要であろう。」 

 「趣味の価値」は1967年初版でありまして、それから55年であります。出光興産

昭和シェル石油経営統合して、それが出光美術館にどのような影響を与えるの

か、気になるところでありますね。