榛地和装本 終篇 2

 藤田三男さんの「榛地和装本 終篇」を話題にしていましたら、ウェッジ文庫で藤田
三男さんが装幀を担当した書影を掲載することになりました。
 浅見淵さんの「新編 燈火頬杖」でありますが、これの表紙に使われている「高島
野十郎」の絵に反応してくださる方がいらっしゃいました。浅見淵さんの文庫本の解説
は編者である藤田三男さんが書いているのですが、これには装画としてつかっている
高島野十郎」の絵への言及はありませんでした。
 これについて書いているのは、「榛地和装本 終篇」においてでした。
「 装画は高島野十郎『蝋燭』連作の一点。はじめ浅見さんお好みの竹下夢二の燭台を
と思ったが、江戸趣味にすぎてそぐわない。困って元新潮社の編集者で美術通の鎌田
和夫さんに相談すると、『蝋燭の明かりはジョルジュ・ド・ラ・トゥールの光と影が
印象的だが、直裁な光は高島の観察力の方が勝っている」とのありがたい助言を得た。
三年ほど前、三鷹市立美術館での回顧展を思い起こした。」
 高島野十郎という画家は、『隠者のような生き方をした画家」でありまして、ほとん
ど絵を発表していなかったこともあり、生前はまったく無名でありました。近年は、
ずいぶんとメディアでも取り上げられるようになっていますが、ここに至るように
なったのは、高島さんが亡くなった80年から6年後に福岡県立美術館で「回顧展」が
開催されたことですし、さらにその2年後の88年7月28日から8月28日に東京 目黒
美術館で展覧会が開催されたことによってであります。

 まったく記憶に残っていないのは残念でありますが、88年7月に東京は目黒大鳥神社
のそばに住んでおりまして、まだできてばかりであったと思われる目黒美術館に足を
運んでいます。これは目黒区の小学生の美術作品をならべた展示があったからで、
どういうわけか子どもの作品が採用となったとかで、それを見物するのが目的であり
ました。たぶん、その時に「高島野十郎」展を見ていて、そのチケットが手許に残って
いるのでありました。このときに、すごい画家だと感動したということになれば、
なかなか眼が高いとなりますが、まったく記憶に残っていないのですから、話になり
ません。

 上にありますように、日曜日ごとに5回フリートーク高島野十郎を知ってるかい」
というのが開催されまして、次のメンバートークがなされています。
 川崎夾×西本匡伸   窪島誠一郎×米倉守   高橋克彦×あがた森魚
 中沢新一×松枝到   大島清次×田中日佐夫

 この時の美術展を、きっかけに次のような作品を発表している人もいるのでした。
「 昭和63年、夏の盛りに目黒の美術館で開かれた回顧展では、小さな一部屋に蝋燭
ばかり十数点が展示されていたが、ほかに何の照明もないのに、その部屋は夕暮れの
西日の窓のように薄赤く燃えていた。互いの炎で照らし合い、一つの炎のほの揺れが
末期の呼吸ほどの風を起こして次へ伝わり、蝋燭たちはざわざわと音てて燃えさかって
いた。その音はマクベスの動く森のようである。高島野十郎の『蝋燭』は静かに冷え
冷えと怖い絵であった。」 (久世光彦 「怖い絵」から「蝋燭劇場」)

怖い絵 (文春文庫)

怖い絵 (文春文庫)

( この文庫本の「蝋燭」の絵は、「燈火頬杖」のものとは違ったものです。)