手に取ることもなく二週間

 図書館から借りている本は、まったく手にすることもなしに二週間が経過しよう

としています。これはいかんで、すこしでものぞいてみるようにしなくてはとあわ

てて、図書館の通い袋に入れてある本をひっぱり出してくることです。(ほんとに

こういうことからも返却期限というのは必要なことであり。買った本であれば、何

年もそのままだったりするからな。そのままで、手にすることもなしに終わると

いうこともあるのでしょう。)

 ということで、本日に手にしているのは「女性たちの日ソ戦争」という副題のつ

いた「満州からシベリア抑留へ」であります。

 女性でシベリア抑留になった人による手記は、これまでなかったわけではありま

せんが、当方は目にしたことはありませんでした。ましてそれについての研究など

については、さらにです。

 男性の抑留と比べてどうなのかということを、ジェンダーの視点から解明して

いくというのが、この本であるようです。

これは興味深いということで、手にしたのですが、いまのところはじめにすら読む

ことができておりませんです。

 このところ富田武さんの「ものがたり戦後史」を読んでいることもあって、日ソ

戦争の背景については、すこしは頭に入ってきたかなですが、まだまだわからない

ことばかりです。

 本日は、この生田さんの本の冒頭のところを、すこし読んでみることにいたしま

す。はじめには、次のようにありました。

「日ソ戦争後のシベリア抑留は、戦争に起因する日本人の悲劇という観点から見て

も、死者二十万人を出した広島の原爆投下、七万人の長崎原爆投下、二十万人の

沖縄戦などと共に、終戦の決断が早ければ防ぐことのできた悲劇である。しかも、

忘れてはならないのは、シベリア抑留がこれらの悲劇と異なり、7000万強の日本

国民が生活再建に取り掛かろうとしていた戦後の出来事だということである。」

 戦争を始めるという決断が軽いものであるとは思いませんが、それよりも戦争を

終わらせるという決断のほうがずっと大変であったというのが、先の大戦での教訓

であります。

 やろうという決断はできるのですが、一度決めたことをやめようというのは、

なかなかできるものではないというのは、このところの世相を見ていても、感じる

ことであります。