本日の本 2

 小熊英二さんの「生きて帰ってきた男」を話題にしています。
 「生きて帰ってきた」のは、戦争とそれに続いてのシベリア抑留からであります。
 当方の関心は、シベリア抑留にありです。当方がこれまで読んだり、見たりした
シベリアでの話と、どのように通じあうだろうかであります。
 小熊謙二さんは、「ほとんどシベリア時代の記録を書き残していない」とありまし
て、この本は、英二さんによる聞き書きの体裁をとっています。
 英二さんの文章には、このようにありました。
「シベリア抑留に限らず、戦争体験の記録は、学徒兵、予備士官、将校など、学歴や
地位に恵まれた者によって書かれていることが多い。それらは貴重な記録だが、特定
の立場からの記録でもある。生活に余裕がなく、識字能力などに劣る庶民は、自分か
らは記録を残さない。」
 謙二さんの場合は、「生活に余裕がなくて」ということに該当するようです。
多くの抑留記や回想録を読み込んだ英二さんから、「抑留者の手記には、若い時期が
無為にすぎていくことに焦燥感を覚えたとか、みじめな運命で気が狂いそうになった
といった回想を述べてるものも多い」と伝えられた謙二さんは、「そういうことは思わ
なかった。ただ生きていくのに必死だった。そういう抽象的なことを考えたのは、もと
もとハイレベルの人か、屋外で重労働をせずにすんだ将校だろう。」と答えています。
 謙二さんは、ほとんどシベリア抑留体験記を話題にしないのですが、ほとんど唯一と
いっていいくらいで名前があがっているのは、結核療養所に入っていたとき読んだもの
ですが、次のように紹介されています。
「自由な時間はあったが、療養所の図書室にあったのは、俳句や人生訓といった本ばか
り。自分で買おうにも、月に六百円の生活保護では、買えなかった。安売りのゾッキ本
の広告を見て、高杉一郎の『極光のかげに』というシベリア抑留体験記を手に入れて、
読んだのが印象に残ったくらいだ。」
 謙二さんが印象に残ったという「極光のかげに」でありますが、これについての感想
を聞いてみたいことですが、残念ながらこれへのコメントはありませんでした。
「極光のかげに」は、今は岩波文庫で読むことができます。

極光のかげに―シベリア俘虜記 (岩波文庫)

極光のかげに―シベリア俘虜記 (岩波文庫)