作業の合間に

 本日も昼過ぎまでギフト用のお菓子などを作っておりまして、台所で

パイ生地をのしたり、オーブンの温度と焼き加減を見守っていました。

四日間続いたこの作業も、本日の午後で一段落、ダンボール箱にあれ

これと詰めて宅配業者さんのところに持込です。

 オーブンで焼いている間、手持ち無沙汰であったりするので、懸案と

なっている本を開いて、すこしでも読み進めることになりです。

(まだまだ、半分くらいしか読むことができていないのですが。)

ぼくの伯父さん: 長谷川四郎物語

ぼくの伯父さん: 長谷川四郎物語

 

  とにかくたいへんな労作でありまして、簡単に読めるものでではなく、

勉強になりましたで済ませることはできません。(これはあくまでも当方に

とっての話であります。)

 当方は、普通の人とくらべましたら、そこそこ長谷川四郎さんの作品は

読んでいるのでありますが、それでも長谷川さんのコアな読者(それこそ

この世にいくらもいないのですが)からすれば、ほんと子どものようなもの

でありまして、これ面白い、これは面白くなかったというくらいのレベルで

あります。

 この本で福島紀幸さんの超絶な読みを目にして、本当に圧倒される

のでありました。どのような作家さんのものであっても、とことん読むとい

うのは、こういうことであるかなです。

 長谷川四郎さんの代表作といえば、もちろんシベリア時代のものという

ことになるのですが、四郎さんにとって、このシリーズは戦争と抑留の産物

であって、そのあとに生み出されるが、本当に自分の書きたいものという

意識があったように思われます。

 ところが、この本当に自分の書きたいものというのは、すごくシュールな

作品でありまして、読むとすーっと自分のなかに入ってくるものではない

のでありました。

 書き手も大変ならば、読むのもがまんが必要で、このあたりの作品を

どのように乗り越えるかが、長谷川四郎読破のポイントとは思うのですが、

ついついこのあたりを駆け足で通りすぎてしまうのですね。

 この福島さんの本を読みながら、このシュールな作品群の重要さを再確

認でありまして、これを読まなくてはと強く感じましたです。

 四郎さんがシベリアから戻ったのは1950年で、「シベリア物語」「鶴」が

刊行されたのは52、53年のことになりますが、それからが苦闘の日々とな

るわけです。

 福島さんは、そのあたりのことを、次のように書いています。

「四郎の作風が『遠近法』にいたって顕著な変貌をみせたのは理由のない

ことではなかった。

『遠近法』の諸篇は、四郎にとって、いつかは書かなければならないもの

だった。それを書くことは、つらい、苦しいことだった。だから、それを書き

おえると、気が軽くなって、これからはなんでも楽々とやれそうに思えた。」

 読者に受け入れられるかどうかは別にしても、作者としてはこれは書か

なくてはという作品があるのですね。作者が自分に向けて書いた作品が

多くの読者の共感を呼ぶものになるかといえば、そんなことはないので

ありました。