著作権ビジネスのお話で

 図書館から借りている朝妻一郎さんの「高鳴る心の歌」という本を読んでおり

ます。

 これはポピュラー音楽愛好家であった朝妻さんが、ひょんなことから転職して

音楽出版社の社員となり、音楽著作権の世界で生きていくという話です。

音楽出版社と書きますと、なんとなく楽譜とか音楽雑誌でも印刷する版元のよう

に思えますが、朝妻さんにいわせると(この本のはじめにで書いています)、次の

ようになります。

「作詞家・作曲家かたその作家の書いた楽曲の著作権を預けていただき、その著作

権が1円でも多く収入を上げるよう、ありとあらゆる努力をするのが、音楽出版社

の仕事です。」

 その昔でありましたら、日本ではレコード会社というのが、そういうのを仕切っ

ていたのでしょうが、だんだんと欧米との音楽ビジネスが活発化することになった

ことによって、このような役割がクローズアップされてくるようになってきたわけ

ですね。 

 レコード会社は、もちろん自分のところの専属歌手の歌をあちこちに売り込むの

でありますが、60年代になってからは専属というようなしばりでない歌い手さん

などがでてくるようになりましたから、そういう人たちをレコード会社に売り込ん

だり、放送局などに企画を持ち込むなんてのを仕事にしたようであります。

 朝妻さんは放送局が設立した出版社でありますが、タレント事務所のものや、

プロモーターが設立したものなど、設立の背景は様々であったようです。

 なかには、日本だけで通用するルールなんてのもあったようで、これは欧米から

相当に問題視されて、結局は世界標準のルールに一本化されたとありました。

 著作権におけるこのようはローカルルールは、翻訳の世界にあったと宮田昇さん

の本で見た記憶があるのですが、1970年代に入りますと、国際化は一層進み

ますので、ローカルルールで何が悪いとはいえなくなりますね。

 その日本だけの音楽著作権の取り扱いについては、この本で初めて知ることに

なりました。

内務省はまず34(昭和9)年に著作権法を改正し、『放送局がレコードを流す

時は、出所を明示すれば演奏使用料を支払わなくてもよい』という、世界的な基準

からしたら問題になりそうな日本独自のルールを作ってしまった。つまり、放送局

は欧米の音楽出版社に対して、それほど数の多くない生演奏の使用料は仕方なく払

うが、数量が多く金額の大きくなるレコードを使用する分に関しては一銭も払わな

くてよい、という法律を決めてしまったのである。

 これが改定されたのは、70(昭和45)年も著作権法が全面改定された時で、

それまでまかり通っていた特殊な日本ルールに対して、64年の東京オリンピック

開催を契機に世界各国からクレームがつけられ、その6年後の著作権法改正で取り

消されるに至ったのである。」

 宮田昇さんが書いていた「翻訳権十年留保」というルールも1970年の法改正

で規定が変わったとありますので、1970年の法改正で、やっと国際標準になっ

たということでしょうか。