図書館に通う 2

 最近になって図書館を利用するようになった当方にとって、宮田昇さんの「図書館
に通う」は大変参考になるものであります。

「私は、書籍の売り上げ低下は、若年層の本離れゆえで、最近の図書館利用の増加は
団塊世代の退職がおもな理由だと思っている。その辺を見誤って図書館を公立無料
貸本屋とし、その充実の足を引っ張ってはならないのではないか。」
 これが本文のむすびにおかれた文章となります。
 4月以降にフリーとなった団塊の世代の一員である当方にとっては、図書館の充実は
ぜひともお願いをしたいところであります。そのために当方のできることは何かなん
ていうことを、宮田さんの本を見ながら思っております。
 宮田さんの場合は、仕事が暇になったのは80代になってからのようですから当方より
も、ずっとお年を召してから「街の図書館」へといくようになったようです。
「街の図書館で私は、評判だけは知っていたが、読んだことにないエンターティンメン
トものに開架で出会い、趣味としての、娯楽としての読書の楽しさを知ることになる。
私の図書館通いは、そこからはじまったと言ってよい。」 
 これは、それまでさんざんと仕事で本を読んでいた人の話でありまして、当方がその
ようなことを記しますのは30年早いといわれそうです。
 それはそうと昨日の続きです。
 どうして旧友Sさんこと坂井利夫さんと宮田昇さんは、荒正人さんに拘ったのかであ
ります。
 宮田さんは、次のように書いています。
「あの戦後のことを振り返ると、私にとって荒正人は、平野謙より重い存在であった。」
  そのわけについてです。
「旧友Sと私には、荒正人との個人的接触があった。二人は縁あって、ある時期『近代
文学』でアルバイトをしたからである。その期間は、Sより私のほうが長く昭和二十二年
の秋から二年半ばかりである。・・・・
 のちには、『広辞苑』に列挙されたように『近代文学』は埴谷雄高平野謙、本多
秋五などを有力メンバーと見なしたが、主体は荒正人であった。当時の荒の行動力、
企画力がなければ、ただの同人誌で終わったはずである。また荒正人は、猪突猛進する
ように見えて、けっこう気配りの人でもあった。だからこそ、あくの強い『近代文学
同人をまとめることができたのだと思う。」
 当方が若い頃には、荒正人さんはもちろん健在でありまして、そのころ一番話題に
なったのは、「漱石研究年表 漱石文学全集 別巻 集英社、1974年」でありましょう。
 その頃に冨山房百科文庫から「負け犬 第二の青春」がでまして、当方はいきおい
でこの本を購入していたのでありました。
 宮田さんが「広辞苑」から一時期名前が消えていると聞かされた荒正人さんの本を
読んでみようとして、街の図書館の蔵書をネットで検索してみたら、国会図書館にい
かなくては読むことができないと思っていた荒さんの著作が、街の図書館にあって
昂奮したという話であります。
 これは街の図書館がえらいというよりも、この本をラインナップに加えた「冨山房
百科文庫」がえらいのでしょうね。わが家のどこかにこの「負け犬 第二の青春」が
あるはずでして、あれはえらい字が小さい印象が残っていますが、見つかるでしょう
かね。