「みすず」読書アンケート 5

 スカラーシップ・ボーイというのは、奨学金をうけることで大学などへといった人
のこととなりますが、日本では日本育英会なんてのがあって、ここからお金を借りて
大学にいくというのは、いつころからのことなのでしょう。(調べたらすぐにわかり
そうです。かっての育英会というのは、最近は名前をかえてしまっていますが、
昨今の低金利時代に、とんでもなく高利といわれていますが、借りても返還すること
ができない人が多くなって問題化していることです。)
 戦前の日本においては、よほど優秀でありましても、上級学校に進めるひとはごく
限られていて、ほとんどは高等科をでたら家の手伝いをするか、奉公にでるしかな
かったのでありましょう。それこそ篤志家からの奨学金を受けて進学するというの
は、極めて例外的でありましたでしょう。
 今回のみすずアンケートには、そうした極めて例外的な存在から著述家となった
人についての本が取り上げれていました。
 その人は、地方の素封家から資金援助を受けて学校をでたのではなく、丁稚奉公し
たところで学ぶことの楽しさを覚え、独学で研究を続けて、歴史家となられた方です。

日本の朝鮮侵略史研究の先駆者 歴史家山辺健太郎と現代

日本の朝鮮侵略史研究の先駆者 歴史家山辺健太郎と現代

 この本については、お二人の方があげておられますが、最近はほとんどお名前を目
にすることがなくなっている山辺健太郎さんについての著作です。
 この山辺さんのユニークな生い立ちについては、ご自身でも著作を残しておられま
す。 この本をあげている歴史家 山本四郎さんは、次のように記しています。
「奇人山辺さん、自由人として一人で日朝関係史の大きな成果をあげた。
わたしも上京して憲政資料室に行くと、よく京都から来たと親切にしてもらった。」 
 この本をあげている作家 徐京植さんは、山辺さんについての小尾俊人の文章を
ここで紹介していました。
山辺さんは独学の人、いわゆる学歴はなかった。『学問に学歴はいらないが、努力
はいる』(氏のことば)。・・人間がロボットを模範とする現代では、こうした存在
は、稀であり、かつ困難であろう。」(この小尾さんの文章の初出は1992年6月との
こと。出版ダイジェスト)
 みすず書房の小尾さんについては、近刊で宮田昇さんの本がでると案内されていま
したが、みすずからでた「現代詩資料」には、小尾さんによるものと、山辺さんによ
るものがありまして、それらは学者さんたちにとっての一級資料なのでありました。
「学歴より努力」でありますね。