屋上屋になるのか

 図書館から借りている超弩級の本は、重い重いといいながら自宅に持ち帰り、

そのままでさっぱり手にすることもなしで、何週目かの週末を迎えています。

まずは、それを手にすればいいのに、昨日に図書館に行った時に、こりもせずで

またまた超弩級の本に手をだしてしまうことになりです。

 このようなものは、なかなか借りる人がいないでありましょうから、読めなく

とも借りて、実績をつくるだけでもいいかなです。それにしても、このような本が

よくぞ、この時代に出版となり、それがこの町の図書館に入ったものです。

 4年ほど前に冨山房百科文庫の「周作人随筆」を購入して、ちびちびとなかを

のぞいておりました。そんなこともあって、周作人には興味があったのですが、

平凡社東洋文庫からでている周作人の読書日記は立ち見をしたものの、ちょっと

読めそうもなくて、借りるのを断念しておりました。

 今回の自伝は、日本に滞在していたときのことや、詩人 エロシェンコに関する

ところがあるので、そこだけでものぞいてみたいと思ったものです。

新聞に連載したものなので、比較的読みやすいようにも思うのですが、なにせ当時

の世相に疎いことから、うまく読みすすめることはできるだろうかな。

 この自伝を書き始めた時の周作人さんは、「日本人のいわゆる『喜寿』をも迎え

た」頃でありまして、1960年頃のことになりです。

日本に留学をして北京大学で教鞭をとり、日本びいきであったこともあって、大戦後

には日本への協力者として下獄することになるのですが、最晩年は文化大革命の時期

と重なり、中国での評価は、今も微妙であるようです。