「父の娘」として8

 2002年10月に刊行された「ユリイカ」臨時増刊号「矢川澄子・不滅の少女」に
は、400ページほどの冊子のなかに編集を担当された郡淳一郎さんの矢川さんへの
思いがぎっしりと詰まっています。

ユリイカ2002年10月臨時増刊号 総特集=矢川澄子 不滅の少女

ユリイカ2002年10月臨時増刊号 総特集=矢川澄子 不滅の少女

 この特集の編集後記には、次のようにあります。
「 さしあたってこれだけは、あるいは緊急順不同で、矢川さんは人間の滑稽と悲惨、
世界の残酷さへの感受性に優れた人だった。あんなにセンシティブだった人を知らない。
・・必ず言い過ぎ、言い間違え、言いそびれるしかない言葉という出来の悪い道具を、
自分のものとしてでなく、愛着を込めて使いこんだ辣腕校正者兼マイナー文学者に
よる、ポストモダン様式の哀歌体。・・矢川さんの言葉づかいのきつさ、いたたまれ
なさ、取り返しのつかないぶっ壊れ方は、彼女の生の過酷さによく拮抗していたと思う。
悪戦苦闘の光輝はけっして消え失せない。」
 この郡淳一郎さんは、このあと2004年から「ユリイカ」の編集長をつとめていた
とありますが、いまはフリーの編集者であるようです。この「臨時増刊号」をみる
かぎりでは、「矢川澄子全集」の編集作業を着々とすすめているようにも見えますが、
問題は、これがかたちになるかどうかであります。
 郡さんが作成した「矢川澄子年譜初稿」の凡例では、次のようにいってます。
「 本稿は、吉岡実が『謎に満ちた静寂』と、加藤郁乎が『多くを語らずにきた人』と
呼んだ矢川澄子の足跡を、彼女自身の著作、発言、周辺資料、および関係者の証言から
辿ろうとする試みの最初の出力であり、今後の増補・改訂にむけての準備稿にすぎない。
作成にあたっては、編者が2002年8月末までに確認しえた矢川澄子の著作、発言を
基本材料とし、別記する文献を参照したほか、・・諸氏に取材した。」