「父の娘」として9

 昨日に、「ユリイカ」2002年10月 臨時増刊の「矢川澄子・不滅の少女」の
検索を駄目もとでやってみましたら、これがあがってきました。これには驚きました。
当方は、いまから10年近くも前のムックでありますからして、とっくに姿を消して
いると思っていたのです。一度品切れになったものが、その後に復刊して、いまも
新刊で入手できるようです。
 はてな有料オプションを利用しますと写真は大きく表示できるようになるという
のですが、こちらはいまだにオプション利用はしていませんので、写真で紹介する
ときはサイズが小さくて細部が判別できないのでありました。
 それと比べますと、商品紹介のページへのリンクとなるものは、写真をクリック
しますと写真が大きくなりまして、よりはっきりとみてもらうことができてたいへん
よろしです。
 この「不滅の少女」の表紙写真については、次のようにコメントがあります。
「表紙写真 1966年8月から68年3月まで済んだ北鎌倉・澁澤邸でのセルフ
ポートレイト。
 背後の絵は、金子國義から贈られた『夏休み』(1964年)。
 矢川さんが保存していた写真のうち、この一枚は、楕円形に刳り抜いた薄紙で
覆われていた。」

ユリイカ2002年10月臨時増刊号 総特集=矢川澄子 不滅の少女

ユリイカ2002年10月臨時増刊号 総特集=矢川澄子 不滅の少女

これの表紙写真のところをクリックして拡大してご覧ください。

 この表紙写真は裏焼きのようにみえますね、矢川さんというとあごのところに、
ぽつんとあるのですが、それが左右逆になっています。それにカメラのボディに
ある文字が鏡文字です。(カメラはMAMIYAFLEXとみえます。)
 これは裏焼きなんかではなく、鏡にうつっている自分を撮影したということですね。
 意識的にそういう写真をとったということでありまして、これは「鏡の国のアリス
なんですね。
 1966年 矢川さんは36歳で、2月に「迷宮としての世界」の翻訳を出版し、
8月に北鎌倉の新居に移転したとあります。68年3月には澁澤龍彦さんと離婚する
のですから、この夏の服装からすると、引っ越してまもなくと考えるのがいいので
しょうか。
 多田智満子さんによると、「矢川さんとであったのは昭和23年(48年)、
東京女子大で同じクラスだったのです。戦後すぐの、日本人がみな貧しかった頃です。
彼女は目立たない、のちのお洒落な、すてきな姿からは想像もできないような地味な
女学生で、地味で目立たないけれども勉強のできそうな人という感じでした。」
 この表紙写真は、「のちなお洒落な、すてきな姿」になってからのものです。
このように変貌をとげたのは、なにゆえでありましょう。