本日の新聞記事から

 本日の新聞夕刊にあった記事の見出しを目にして、これはあの人のことであり

ますねと思いました。見出しは、「伝説の編集者 宇山日出臣 追悼の書」とな

っていました。

 本文の書き出しは「1944年生まれの宇山は、69年大手商社から講談社

転職、87年親切の文芸第三部(文三)を拠点に、自ら『新本格』と名付けた

ミステリーの新潮流を生み出した。定年退職の翌年の2006年、肝硬変のため

62歳で急逝した。」であります。

 大手商社から講談社に69年に転職した編集者といえば、この人しかいないで

ありましょうです。当方はその方の名前は失念しておりましたが、以前に話題に

していたことがありました。

vzf12576.hatenablog.com  2017年5月に「本の雑誌」を手にして、そこで宇山日出臣さんのことを

知ったのでありますね。これを見て反応したのは、当時の上の記事をご覧いた

だければですが、宇山さんが大手商社を退職して講談社にはいったのは、中井

英夫さんの「虚無への供物」を文庫化したいと思ったからという有名な逸話が

記憶に残っています。

 宇山さんは1969年に講談社に入社して、念願の文庫化ができたのは

1974年3月のことでありました。

 この二つの年というのが、当方に刺さるのでありました。このブログのあち

こちで言及していて、ほんと年寄りは同じ繰り言をといわれそうですが、自分

でも忘れそうでありますので、定期的に話題にです。

 1969年というのは、当方は大学受験に失敗し予備校に通っておりました。

この年10月に刊行されたのが三一書房中井英夫作品集」で、新聞でこれを

知って(たしか埴谷雄高が、近々「虚無の供物」が刊行されるとアナウンスし

ていたのです。)、これは発売されたら買おうと思ったのです。

 それで新刊で購入して、夢中になって読んだのですね。予備校に通っている

10月くらいですから、その翌年の受験がうまくいくわけもなしですが、これ

が不思議なくらいに悔いが残らずで、むしろこの69年は「虚無への供物」を

読んだ年として、今に至るまで強く記憶に残っているのです。

 そして「虚無への供物」が文庫となった74年3月は、ちょうど大学生活を

終えて、北海道に戻ったのですが、そのときはこの文庫本を手にしていました

です。

 編集者 宇山さんのことは「虚無への供物」との出会いによって、人生を

変えることになった人という印象でありまして、それとくらべると、ひどく

スケールは小さいものの、当方も予備校であの小説に出会わなかったら、

ひょっとして志望する大学に合格してしまって、ひどく退屈な人生を送ってし

まうことになったのではないかと思ってしまうのでありました。

 ということで、本日は中井英夫さんにバラを捧げることにいたしましょう。

 本日のバラは男性の名前がついた赤いバラ L・D・ブレイスウェイトであり

ます。ちょうどこれから開くところで、今が一番楽しいところ。