昨日の今日に

 昨日は3月11日で、大きな震災があった日でありました。当方の人生に

おいて、年月日と曜日、時間とが出来事と結びついて、こんなにも記憶に残っ

ている日付はなしでありまして、本当に特別なあの日であります。

 昨日は、その時間に黙祷をすることになりましたが、その時間に海のほう

から霧笛の音が聞こえてきたように思います。たぶん、消防のサイレンでは

なくて霧笛であったと思いたいことです。

 あの震災では船舶の関係者にも多くの被害者がでたことでありますから。

あの震災では、当方の住む町は、あまり被害を受けることはなかったのです

が、TVで大きな津波が襲ってくるのを目にしたり、原発が爆発するのを目に

した時は、生きた心地がしませんでした。

 それから11年が経過であります。

 本日に午前のトレーニングから戻って、休んでいるときにTVをみたいまし

たら、Eテレ「こころの時代」で「フクシマを歩いて」、徐京植さんが「核

と戦争」「難民の時代」について、話をしていましたです。

 この番組は、2011年8月に放送されたものだそうで、その時には、ま

るで見ることもなしでありまして、本日の放送ではじめて目にすることがで

きました。

 悪い予想はあたるといいますが、ネットではひどく悪しざまにいわれてい

るであろう徐京植さんが、2011年に話をしているよりも、最近の状況は

まだよろしくないようであります。

 徐さんが、南相馬市(?)に居住されている方が、あえて避難していない

方をたずねて、そこにあがってお話を聞かせてもらっているのですが、その

方というのが、スペイン思想を研究している佐々木孝さんでありました。

 佐々木さんは、奥様が体調を崩されたことで、大学を早期でおやめになり

縁のあった南相馬市で暮らすことになったのですが、移住して9年ほどで

震災にあって、原発に近いこともあり、ご近所は他の場所に逃れたのですが、

佐々木さんは奥様のため体調を考えると、移住はできないということで、

ずっと住み続けることになりました。

 奥様と一緒に取材をうけて徐さんの質問に答えるのでありますが、奥様の

おかげで「魂の重心を低くすることができた」と答えていることに学ぶとこ

ろ多しであります。

monodialogos.co