このところ小説家で元気がよろしいのは女性たちというのは、当たり前に
なっていますが、それじゃ学者さんはどうなのだろうと思うと、これは当方に
バイアスがかかっているのかもしれませんが、あまり馴染みがないことです。
そういう意味では先月に読んでおりました倉沢愛子さんの「女が学者になる
とき」は、まったく知らなかった人の著作ということもあって、とっても新鮮
な気持ちで読むことができました。
こういう人がいたのかと、ほんと驚いたのですが、今月もまたまたまるで
知らない女性研究者の著作を読んで、蒙を啓かれました。
今回は女性学研究者 井上輝子さんで、昨年に亡くなられたのですが、遺著と
いう形の著作を手にしたのでありました。
まだ現役世代の女性たちとお話をしますと、上野千鶴子さんから影響を受けて
いる人は多いのですが、それよりも年長世代の人について(明治から上野以前ま
で)関心をもっている人は少なくて、それはちょっとさびしくはないかと思って
いました。そのタイミングで、図書館でこの本を手にしたわけです。
タイトルに150年とありますので、これは明治以降の人が取り上げられてい
て、それこそ井上さんの世代までの人と運動が書かれていますので、女性史への
入門書としては、とてもいいではないかと読んでみることにです。
この150年を通してみますと、1970年くらいまでは社会主義をベースに
した女性運動論が主流であったということがよくわかります。女性運動に関して
それに変わる運動論は英米にはあったのでしょうが、日本ではなんといっても
社会主義が幅をきかせていました。それが運動の分裂につながっていくというの
は、女性運動に限らず、平和運動などでも共通したことです。
70年代以降はウーマンリブとかの運動に転じていって、その先に現在がある
のですが、このへんの見通しも良く、たいへんありがたい内容です。
井上さんは、和光大学で学者として初めて女性学講座を開設したとのことです
が、こういう方がいらしたことを、亡くなってから知るとはは、なんとも不覚な
ことであります。