小さなことば 2

 本日も、「ことばの自由をもとめて」からの話題であります。現在、流通している
著作としては「法廷にたつ言語」という書名になっているのですが、小生がいま参照
していますのは、今はなき「福武文庫」版であります。
 田中克彦さんの著作は、いまでは岩波、筑摩からのものが流通しているように思い
ますが、このなかには、最初は恒文社とか農文協からでたものがありますが、岩波
現代文庫に収録というのは、本の世界ではあがりともいえるものですね。
 初出と復刊で書名がかわっていたり、出版社がかわっていたりしますとちょっと
混乱してしまうことがあるようです。この「法廷にたつ言語」というのについては、
最初、「法廷にたつ言語」として恒文社からでて、それが「ことばの自由をもとめて」
福武文庫になり、いまは「法廷にたつ言語」岩波現代文庫でおさまっています。
田中さんの著作の完全コレクションを目指す方には、恒文社「法廷にたつ言語」と
岩波現代文庫版との相違を教示願いたいものです。
 この福武文庫の「ことばの自由をもとめて」の表紙カバーには田中克彦さんの
著書リストがあるのですが、それには「草原と革命」(恒文社)となっているのです。
あれっ、この「草原と革命」というのは晶文社刊であったはずと思いますが、これで
刷り込まれてしまうと、幻の「草原と革命」をもとめて探すはめになりそうです。
恒文社というと、東欧とかの著作を多くだしていましたので、いかにも「草原と革命」
の版元らしく思えるのでした。
 昨日に引き続きで、田中克彦vs丸谷才一さんであります。(田中克彦さんの
「日本語の現状況」からの引用。)
「 かっておこなわれず、また現におこなわれていないことは、原理的に実現不可能
だからそうなっているのだという保守主義は、『言文一致』運動以来、あらゆる改革
をはばんできたが、この考え方はさらに、ことばに関しては古いものほどよく、古式
をまもることが日本語の品位をまもることだという考え方と組み合わさっている。
そこでは『旧かなづかひ』に異常に高い価値が与えられている。旧かなづかいが、
いかに各生活を圧迫していたかは、明治33年位原敬が、ふりがな改革について
のべた際にあげた例をみても明らかである。・・・
 丸谷さんの世代の人は、戦争で痛めつけられてろくすっぽ勉強もできなかったから、
おくればせながらコテンコテンと、向学心に燃えてさわぐのは悪くないが、それは、
自分だけのけいこごとでおさめておいてほしいものだ。そうでないと、子供だけは
早くから漢字好きにさせて、受験戦争をうまく乗り切らせようという教育ママたちが、
絶え間なく、よこしまな本能を刺戟されて、次々に第二第三の丸谷さんを作り出す
からだ。」