本日も雨となり

 昨日にはすこしお天気が回復するような感じとなったのですが、夜から

雨となって、本日も終日小雨でありました。お天気が回復したら、すこし

庭仕事と思っておりましたが、このお天気じゃだめでありまして、午前は

ジムへといって汗を流すことにいたしました。

 いつもでありましたら、たぶん屋外でランニングをなさっているであろう

ランナーたちは、本日はジムのマシンの上で走ってにぎわっていました。

雨のせいで、明日も庭仕事はちょっと無理なようですので、明日もジムへと

いくことにしましょうかな。

 午後から買い物を兼ねて外出したときに、すこし待ち時間が発生するよう

でありましたので、文庫本を持参することにしました。このところ読んでい

プルーストはどうかなと思いましたが、これは時間つぶしで読むにはむか

ないことでありまして、昔の人が書いた素直な日本語の本を携行することに

しました。

 ちょうど、以前に安価で確保することができて、いまだ読んでいないもの

ですから、これを機にすこしでもページをめくることができればよろしです。

 「 惜櫟荘主人」といっても、今の主人についてではなく、最初の主人である

岩波書店 岩波茂雄を描いたものであります。著者の小林勇さんは、もちろん

岩波書店に奉公人としてはいって、後に岩波の女婿となる方でありますが、文人

としても著名な方です。

 この本の序で、小林さんは「岩波茂雄が亡くなってから間もなく伝記を作る

話が出て、安倍能成先生がそれを引き受けられた。」と書いています。これは

岩波の公式伝記でありまして、完成してからは最初は非売品として配布されたと

とのことです。

 この公式伝記は安倍能成が多忙であったこともあって、完成が遅れて、その間

に小林さんは、自分なりの岩波茂雄伝をまとめておこうと思って記録をとりはじ

めたときに、安倍能成との間で次のようなやりとりがあったと記しています。

「安倍先生が、私の原稿が出来たことを知られ、それを質されたので私は事実を

話した。その時先生は、出版する気かとたずねられたので、今その事を考えてい

ないと答えた。安倍先生は、自分の岩波伝は完成までにまだ時間がかかる。君の

ものがその前に出ては困るといわれた。先生はまた『僕のものが出てから三年

たったら君のは出版してもよい』といわれた。」

 昭和31(1956)年のことでありますので、小林さんは53歳くらいで岩波では

代表取締役専務でしたが、安倍能成といえば、学習院院長で、元文部大臣であり

ますので、とても歯がたつ相手ではありませんでした。

 それにしても、岩波茂雄はともかくとして、安倍能成なんて名前も聞いたこと

はないという人が多くなっているのでありましょうね。