もうずいぶんと前になりますが、かっての文人たちが歌仙を巻くという
のをやっていたことがあります。丸谷才一さんなどがやっていたように記憶
しますが、歌仙の発句が独立して俳句になったとは聞くのですが、歌仙の
ほうは約束ごとが多くて、当方はまるで楽しむことができません。
先月だかに中公新書を手にしたら、それが「歌仙はすごい」というもので
あります。歌仙を巻いているのは、辻原、永田、長谷川という三巨頭とありま
す。当方は、辻原さんのファンでありますが、かって丸谷才一さんが参加した
歌仙でもぴんとこなかったことから、これは購入することもなしでありました。
そんなことを思っていましたら、岩波「図書」3月号は、冒頭に歌仙が掲載
されていました。題して「歌仙 惜櫟荘の巻」であります。
こちらで巻いているのは、岡野弘彦、三浦雅士、長谷川櫂のお三方。
こちらの歌仙の口切りでは編集部が「本誌(図書)1月号に佐伯泰英が『惜
櫟荘の四季』でお書きになったような事情で、・・熱海の旧岩波別荘にお集まり
いただき、歌仙を巻いていただきました。」とあります。
「図書」1月号に、それについて書かれていたのかと、あわてて「図書」1月号を
チェックすることになりです。
佐伯さんが書くところによりますと岩波書店の社員六人が惜櫟荘を見学に
来たおり、ここで歌仙を巻くという企画はどうかということになり、それが実現し
て、「図書」3月号に掲載になったものとわかりました。
本来であれば、座の主人である佐伯さんも参加するということになるらしいで
すが、どうも本人が固辞して、それにかわって三浦さんが参加したように思えま
す。
「図書」の歌仙では、長谷川櫂さんが次のようにいっています。
「歌仙の発句は客が詠み、主人はそれに応えて脇とするのがならいです。
発句は岡野先生が詠まれたので、脇は主人である佐伯さんにお願いしたかっ
たんですが」
これを受けて三浦さんが「逃げられちゃった。そこで佐伯さんに代わって詠む
のですからと」言っています。
ちなみにこの連句の発句からの流れは、こんな感じであります。
「 発句 箱根より熱海へくだる春の道 乙三(岡野) 春
脇 腹にこたへる睦月の怒涛 雅士(三浦) 春
第三 羽衣かけし櫟が陽炎へる 櫂 (長谷川) 春
四 呆然として仰ぐ白龍 乙 雑
五 月明りステンドグラス瑠璃の寺 雅士 秋・月
六 真影流の構へひややか 櫂 秋 」
これが初表でありまして、決まりを守って、言葉の交換であります。
このやりとりが、36回続きます。これは佐伯さんが逃げ出すはずです。