畜生のやることだから

 最近にネットで話題になったことのことを思っていましたら、それについて

ネットとは違った角度から記している方がいらして、当方はむしろこちらの方に

共感を覚えたのであります。

 話題になったのは、帯広で行われたばんえい競馬への出走登録をかけた能力

検査のレースで力がでなくて前足が立たなくなった新馬に激を飛ばすために、

騎手が馬の顔に蹴りをいれたのが動画で流れたのを見ての反応でありました。

 当方は、このネットの反応のことを見たときに、ばんえい競馬とか農耕馬と

人との付き合い方を知らない人が、このような反応を示すのであるなと思った

のでありました。なかなかこの騎手を公然と擁護するというのは難しいことで

ありますが、ある程度、ばんえい競馬とか農耕馬と人との歴史をおさえた上で

これについて誰かいってくれよと思ったことです。

 農耕馬とか乳牛というのはペットではありませんので、日頃どんなに飼い主

が愛情を注いで育てたとしても、ここぞというところでは非情にならざるを

得ないものでありまして、乳牛であれば乳量が落ちましたら廃用牛として売ら

れていきますし、農耕馬も役にたたなくなれば売られていくことになります。

もちろん、そのあとは肉となるのですが、それが家畜としての動物の運命で

あります。

 当方が高校生くらいの時までは、まだ農耕馬がそこそこ田舎では飼われて

いましたので、田舎のお祭りなどではばんえい競馬が開催されました。

その日には、ばんえい競馬のために馬を育てているひとが北海道のあちこち

から馬を連れてきて、田舎ばんえい競馬に出走させたのでした。(もちろん

馬券はなしです。)

 農家のおばさんなども見物に来ていて、ほんと馬いじめだわとか、畜生の

やることだからねといってレースを楽しむのでした。

生産者のおじさんたちは、自分の育てている馬を大きなレース(あちこちの

市営ばんえい競馬)に出走させるのが夢でありまして、そのために日頃から

のトレーニングを積んでいるのでした。

 当方が見に行った田舎ばんえい競馬(ばんば競争といっています)と、そ

うした公営競争とはレベルが違うものでありますので、田舎のレースでぶっち

ぎりで勝利をおさめるような馬は、あれは次回の能力検査にでるんだってさと

いう声が聞こえ、どうりでねという言葉がかわされるのでした。

 ということで、先日のネットで話題の能力検査というのは、手塩にかけた

馬にとって、肉になるか競走馬になるかの境目のレースで、本当は馬にとって

も、生死をかけた戦いなのですね。ところが、なんということか畜生である

悲しさ、馬はそのことが理解できないのであります。

 そのことがああいう形で騎手から表現されるのでありまして、生産者も

それから馬を預かる調教師さんも、馬の生死をかける戦いのときにどうすれ

ばいいのでありましょう。

 心肺停止状態にある人に胸部圧迫して人工呼吸をするときは、肋骨が折れる

ということを恐れることなく強く押してくださいと言われたことがあるように

思いますが、それと同じように当方は感じたりです。

 もちろん動物愛護という観点からは、動物に服を着せたり、鞭をいれて走ら

せたりしないということもありでしょうが、その場合は競馬などは成立しない

ことになりです。

 ちょっと前までの人間の親たちは、自分の子どもに体罰というのは当然と

思っていて、学校などでも教師に対して子どもが悪ければどんどんなぐって

くださいというふうにいっていたはずです。もちろん軍隊にはいっても下っ端

は殴られつづけたわけですね。

 人間についてはさすがに状況は変わってきましたが、これから競走馬と育成

者の付き合いは変わっていくのでありましょうか。

 ちなみに当方が目にしたのは、以下のブログでありまして書いているのは

大月隆寛さんです。

king-biscuit.hatenablog.com