昨年かに現職の国会議員さんが、LGBTの人は「子どもをつくらないので
生産性がない」というようなことをいって、話題を集めました。
ご本人は、問題提起したつもりであったのかもしれませんが、人のあり方を
生産性という言葉で語るというのは、やはり非常に問題であるといえます。
生乳をださなくなった牛は、乳廃牛と呼ばれて基本は屠殺されて肉とな
り、これは馬の世界も同じでありまして、先日に放送されていたばんえい競馬
の資格審査に挑戦している馬は、この試験に合格しなければ、どこかの農家
に貰われていって畑作業に従事するなんてことはなくて、あっさりと桜肉とな
るのでありますね。
これが人間以外の動物の世界であるようです。
そこまではいっていないよと言うでしょうが、人間に生産性という言葉で
語りますと、乳牛にあることは人間にも適応できるのではないかと思ってしま
うことです。
LGBTの人に向けられた言葉は、社会のなかで「生産性がない」とレッテル
をはられてしまうような人のみんなにささりましたよね。一定の年齢をすぎた
男女なども「子どもを作れない」わけでありますからして、これは楢山節考の
世界でありますか。
この文章が話題となったときに、不登校やひきこもりを抱える家族にも
刺さったでありましょうね。そうした家族はとっても感じやすくなっていて、
ひどく世間の目を気にしているはずであります。
先日に長くひきこもりであった男性が通り魔殺人をしたあと自殺したので
すが、その事件を聞いた引きこもり男性の父親が、自分の息子も同じ道を
行くのではないかと、息子を殺すことになりです。
全国にどのくらいひきこもりの成人がいるのかわかりませんが、その家族
も含めて、「一億総活躍社会」なんてスローガンは皮肉にしか思えないこと
でありましょう。