昨日からの雨は予報とおり、午前のうちすこし残っていまして、散歩へと
でようかと思っていたのですが、それはだめでありました。このところ散歩
よりもジム通いで運動をしているのですが、本日は施設が月末休館日であり
まして、身体を動かすことがなしとなりました。
月曜の作業であるパン作りを朝から開始して、その合間に図書館から借り
ている本を読むことになりです。
図書館本のほうは頭にはいらないつまみ読みでありましても、ページをめく
るだけでも意味がありますでしょうよ。
まず読んでいたのは、斎藤恵子さんの「九津見房子、声だけを残し」であり
あした。
九津見さんは1928(昭和3)年1月に共産党のオルグのために北海道に渡る
のですが、ここからのところは、急になじみの地名などがでて、活動内容も北海
道内のことで、資料の引用も札幌市のアーカイブであったりするので関心がます
ことです。
「二月のある日、三田村と房子、一燈子の三人で夕食後、家の近くの中之島公園
での水上カーニバルを連れ立って観た。華やかに氷上を滑るスケーターたちの
バレエダンサー姿やピエロ姿に見入った。」
この時の住まいは「山鼻十一丁目の家」とありますので、ここから近くにある
公園といえば「中島公園」ですね。(流行歌に中の島ブルース」というのがあって、
この中の島というのは、今は豊平区にある別の公園となります。)
上の引用はママなのですが、連れ立って観た「水上カーニバル」というのは、季節
と後段のところにあることから「氷上カーニバル」となりますか。
北海道のところだけは、急に細かいところまで読んでしまったりです。
このあと、九津見さんは治安維持法で拘束されるのですが、夫の三田村さんは
追ってから逃げるのですが、結局は捕らえられます。
そうした時代の活動家の男のことを、斎藤さんは、次のように書いています。
「森田京子は、未決在獄中、三田村に妻がいることを知りノイローゼになったので
ある。福永操はハウスキーパーは『党の幹部である男ども個人の身辺に無条件的に
従順に奉仕する仕事であった』と怒りをもって書いている。福本和夫が数名の女子
大生代わる代わるハウスキーパーにしていたことも書いている。許し難い男たちで
ある。女性を対等な存在と考えない女性蔑視は今も続いている。それは左翼とか
右翼とか思想にかかわらず、である。」
「左翼とか右翼とか思想にかかわらず」でありますね。
こういう時代に活動家であった九津見房子さんのことは、記憶してしかるべきで
ありますね。