声低く語れ 2

 「声低く語れ」は、林達夫さんの「新しき幕開き」という文章にエピグラフとして
引用されているミケルアンジェロの言葉にあるものです。このミケルアンジェロの
フレーズがどのようなところにあるのか、まるでわかっておりませんし、調べても
おりません。(そういえば、羽仁五郎の著作に「ミケルアンジェロ」というのがあり
ましたです。どこかにあの新書があるはずですが、そのなかにあったりはしないよ
ね。)
 林達夫さんが引用している全体は、次のようになります。
「われに慕わしきは眠ること、更に慕わしきは石となること、
 迫害と屈辱とのつづく限りは。
 見ず、聞かず、なべて感ぜず、それにもまさるさいはひは今のわれにはあらじ。
 されば、われを揺り起すなかれ  もの曰ふなら、声低く語れ!」
 「石となること」でありますが、これは「迫害と屈辱との続くかぎり」という前提
であります。迫害と屈辱が続かなくとも、われを揺り起すなかれですね。しかも声高
に。声高に語るのは、語りかける相手の耳の聞こえが悪いと思っているか、そうで
なければ、語る内容のなさを声の大きさでカバーしようとしているかのどちらかです。
 最近の声高に語る人々といえば、東にUSAの大統領候補がいて、この国にあふれる
ヘイト本嫌韓本の著者たちがありです。日本会議に集まる人々もそうであるのかも
しれません。
 先の大戦に敗戦した後に「あはれな美しい日本」と嘆いた川端康成さんと、同じ志
をもって、「美しい日本」を取り戻そうというのが、どうやら日本会議の目的である
ようですが、これは現在の首相の「美しい国へ」とぴったり重なりあうようでありま
す。そのへんが、首相の最大のブレーンは日本会議スタッフといわれるところでしょ
う。
 日本会議とはなにかということについて書かれた本がでて、それが日本会議から、
出版差し止め請求をだされたことにより、一気に本が売れることになりました。
扶桑社から刊行された本が日本会議からクレームを受けるというのが、なんとも奇妙
な話で、街の書店で見つけたときに、ちょっと立ち見をしてみました。それからし
らくたって、その本屋へといってみましたら、あちこちで品切れが続いているこの
新書が売れ残っていたものですから、これが残っているのはちょっと恥ずかしいやと
ばかりに購入してしまいました。

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議の研究 (扶桑社新書)

 この本の帯には、次のようにあります。
市民運動が嘲笑の対象にさえなった80年代以降の日本で、めげずに、愚直に、
地道に、そして極めて民主的な、市民運動の王道を歩んできた『一群の人々』に
よって日本の民主主義は殺されるだろう」
 「ちくま」に連載に斎藤美奈子さんが、今のこの事態は昨日、今日に起きたわけ
ではなく「草の根右派は九十年代半ばから二十年かけてこつこつと地歩を固め、今日
の隆盛を手にしたのだという事実」から教訓を組みとろうと書いておりましたです。
 学生時代にある右派学生運動から育った活動家たちが、日本会議の中核にずっと
いるというのが、この菅野さんの本を読みますとわかります。それと較べると左派の
学生運動の活動家たちはどうしてしまったのかでもあります。