八木正自さんの「古典籍の世界を旅する」を手にしています。
極めて貴重となる「古典籍」は当方には縁のない世界ではありますが、どの
地方にもそのエリアにおいて貴重な歴史資料というのはありますでしょうね。
そのような資料は、どのようにして保存、活用されているのかということに関し
てでありますが、八木さんは欧米とくらべて、次のようなことを書いています。
「欧米では、博物館、美術館、図書館の役割が伝統的にきちんと分かれている。
・・ところが、我が国の国立博物館と国立国会図書館を例にとった場合、鎌倉
時代以前の貴重古典籍や絵巻類、古筆切などは、本来、国立図書館が管理、展
観すべきだが、そのほとんどが国立博物館の所管となっている。
また、大学図書館の常設展示室はほとんどなく、司書が専門職として長期に
わたって専任となることは極めて稀である。
この二点の違いは、欧米が図書館やキュレーターの重要性を、伝統的に長期に
わたって培ってきたことによるものといえるだろう。」
このように記してから、日本の現状に対して、次のようにいうのであります。
「日本では、国でも大学でも図書館というものに対するインターナショナル・
スタンダードな認識が欠如していると言わざるを得ない。」
国全体としてがそうなのでありますからして、地方の場合はさらに悲惨な状態
であることは想像に難くないことです。地方の自治体はどこも財政が厳しいとい
われていて、そうなりますとまっさきに影響を受けるのが文化予算でありまして、
そのせいで、補助金を得て立派な図書館ができても、中身はさっぱりということ
になってしまいます。書籍の貸出数とか来館数を指標にして図書館が評価される
ようになりますと、カフェ併設とか人気作家の小説を複数購入というような方向
に進んでいきます。
その結果として、八木さんが図書館に求める機能からはますます遠ざかってい
くことになるようです。あちこちのまちの図書館は、自治体の事情で業務委託が
進んでいまして、どちらも経験豊かな司書さんが姿を消していて、ひどく頼りな
い状態になっています。
図書館というのは蔵書の質とレンファレンス能力にあると思われるのですが、
なんとも現状は残念で、さらに残念なのは、これから先ますます悪くなりそうな
ことですね。