本日の新聞には「『源氏物語』の写本のうち、藤原定家が整えたとみられ
る『若紫』巻の写本が一昨年見つかり、話題を呼んだ」とありました。
一昨年にそのようなことがあったことも知らないのですが、この記事を読み
ますと「源氏物語」というのがどのようにして定着していくかがわかるよう
な気がします。
よく考えますと、「源氏物語」が現代に伝わっているのは奇跡のようにも
思えることです。失われてしまった物語というのも、ずいぶんとあるのでしょ
うね。
先日から八木正自さんの「古典籍の世界を旅する」を手にしていなければ、
このような記事がでていても、ほとんど目に止まらなかったかもしれません。
そういう意味ではタイミングよろしであります。
この本には「源氏物語」について、次のように記されています。
「平安朝の文学書は、その原本が残っていない。紫式部の『源氏物語』も原本は
その断片すら見つかっていない。書写された古写本は転写の転写で、本文がかえ
られていることがしばしばである。古典文学研究者は、本文を比較検討して、
原作は如何なるものであったかを探り、常に新たな古写本の出現を待望している
わけだ。」
ということで、一昨年に見つかった源氏 若紫の定家が整えた写本というのは、
重要な新たな古写本ということになりますね。
定家が整えたというのがポイントなんでしょう。上に引用したところに続いて、
八木さんは、次のように書いています。
「紀貫之の『土佐物語』も原本はない。ところが、京都の蓮華王院が所蔵してい
たときに、藤原定家もその息子為家も原本を脇に置いて書き写したことが知られ
ている。しかし定家の場合は、意図的に表現を変えたり、仮名遣いも改めていた
が、為家本の場合は、奥書に『紀氏正本書写一字不違』と記してあることから、
原本に忠実に書写したと確定された。古典文学でこのように原作を忠実に伝来し
ている事例は、他にはない。」
印刷された書物の時代になりますと、改版などのときに作者が手をいれて、
違った内容になることが氏荒れていますが、写本の時代には、書写した人が
手を入れたりもするということで、本当に古典というのは時代が作り出すもの
でありますね。