昨年の振り返りメモ、本日は小説以外であります。
・ 女王の肖像 四方田犬彦
四方田さんの著作にしては珍しく父親が登場するもの。
子どもの頃からの趣味である切手に関する著作ですが、自動車会社に勤
務していた父が海外の取引先からの郵便物にはられていた切手を持ち帰って
くれたとあるところがよろしですね。
半世紀以上も昔のことでありますから、海外との取引には郵便が中心で
あったのでしょう。父親がもたらしてくれる切手のおかげで、少年は学校で
うらやましがられたのであります。
コロナ禍のなか、この本を読むことになりです。罹患したことによって隔離
されることを余儀なくされて、家族や故郷から切り離され、療養所では仮名で
生きることになりました。
すでに治療法が確立しているのでありますが、いまだに罹患者への偏見は続い
ているのであります。
自治の歴史では、高学歴の患者さんが自治会をリードしていったということが
書かれていて、なかでも療養所をでてから、故郷に戻り選挙にでたリーダーさん
のことが印象に残りました。たしか町長選挙に地元の有志におされて出馬し、
惜しくも当選はならなかったのですが、こうした元患者さんもいたのですね。
・ 建築の東京 五十嵐太郎
「みすず」に連載されたものが一冊になりました。東京にはどうして野心的な
建築物が建たなくなったのだろうというのが、ベースにありです。
昨年の暮にTVで「マツコの夜の街を徘徊しない」が建築を話題に番組を作っ
ていたのですが、建築家や建築に関心のある人たちが、その昔とくらべると、
東京の建築物は保守的になっていて、施主さんが冒険をしなくなっているのか
といってましたので、この番組と五十嵐さんの本はつながっています。
・椿井文書 馬場隆弘
偽文書といえば、なんとなく荒唐無稽なものを思い浮かべてしまいますが、
こちらは歴史の改ざんを目的にしたものとなりです。これらの偽文書を使って
地方の歴史が書かれていたとしたらというのが、この本が明らかにするところ。
別に偽文書を利用した地方の歴史家たちを糾弾するためのものではありま
せん。善意で偽文書にひっかかってしまう地方の歴史家たちに、こういうこと
がありますので、注意しましょうねというものです。
偽文書でなくとも、誤って書かれたしまったことを、それを受けて引用し拡
散してしまうことがあったりです。現代のほうが、そうした偽文書にひっかかり
やすいということも含めて、江戸時代において偽文書を作っていった人々の願い
のようなものに、すこし共感するところもありです。
・坪内祐三さんの遺著と追悼本
亡くなって一年がたとうとしている坪内さんが健在であればと思うことが
ありです。亡くなったことで、いつもの年よりも多くの単行本が刊行された
ような感じです。これらを手にしていますと、亡くなったという気分になり
ません。
坪内さんへの評価は、これからの課題でありますね。その昔でありました
ら著作集が作られても不思議でないと思うのですが、この時代には難しいの
かな。