ハンセン病のことなど

 図書館がしばらく休館となると聞いて、あわててたくさんの本を借りること

にしたのですが、これがさっぱり読むことが出来ておりません。いまだ再開の

報道には接していないのですが、この流れでいくと来週末くらいには開くこ

とになりそうなので、それまでに、すこしでも読まなくてはです。

 ということで、一番ページが進んでいるのは、松岡弘之さんの「ハンセン病

療養所と自治の歴史」です。

ハンセン病療養所と自治の歴史

ハンセン病療養所と自治の歴史

  • 作者:松岡 弘之
  • 発売日: 2020/02/13
  • メディア: 単行本
 

  北海道にはハンセン病の療養所はなく、ハンセン病というのを初めて知った

のは子どもの頃に見た映画「ベン・ハー」を見てのことでした。もちろんその時に

は小学校3年生くらいでありましたので、なんのことであるのかわからなかった

のですが、キリストによる奇跡が起こったということだけはわかりました。

 次には北條民雄いのちの初夜」を読んだことによってです。あれはいつ頃で

あったのだろう。たぶん大学に入ってすぐくらいのことであったでしょう。

このときは関西に住んでおりましたので、療養所を訪問しようとすれば、できた

のかもしれませんが、そのようなこともなしでした。

 北海道に戻って就職してから、徳永進さんの「隔離」を読んで、「砂の器」の

ことがすこしわかったように思いました。

 それにしても当方には遠いところにあると思われた病気ですが、当方の親の

世代にとっては結核とならんで不治の病でありました。

 太田正雄(別名は木下杢太郎)は、一番人がいやがる病気を研究しようという

ことでハンセン病を専門とするようになったとか眼にした記憶がありです。

それだけ当時は忌み嫌われていたわけです。

 本日に手にしていた神谷美恵子さん「人間をみつめて」には、神谷さんが

まだ医学生であった昭和18(1943)年に、瀬戸内海の長島愛生園に実習に

行った時に、そこの園長であった光田健輔さんの発言などを書き留めた文章

が掲載されています。

「わたしは学校なんていうものは大嫌いさ。とくに大学ってものがね。そして大学

の先生なんていうものは一ばん嫌い。だからO先生なんかとも合わないのだ。

私はいつもO先生にこういう。あなたがたは自分で何もしないでおいて、他人の

したことを少しずつ集めて、まとめて発表する。それで何がわかりますかって。

何でも自分でやってごらんなさいってね。ああ遊離してやっていちゃ、レプラの

ことなんか何もわかっていやしないんですよ。見当ちがいのことが多くてね。」

 このような文脈ででてくるO先生というのは、東京帝国大学の大田教授の

ことでありますね。

ハンセン病に一生をささげたといわれ、現在も評価が二分する光田健輔と

帝国大学の大田教授は、年齢は光田さんのほうが9歳ほど年長ですが、その

医者としてのキャリア形成は、大田さんは日本のエリートでありましたが、光田

さんは、野口英世さんと同じような苦学の末に医師となったのでありました。 

 

人間をみつめて (神谷美恵子コレクション)

人間をみつめて (神谷美恵子コレクション)

 
北條民雄 小説随筆書簡集 (講談社文芸文庫)

北條民雄 小説随筆書簡集 (講談社文芸文庫)

  • 作者:北條 民雄
  • 発売日: 2015/10/10
  • メディア: 文庫