ねころんで寅を

 横になって図書館から借りている「ふだん着の寺田寅彦」のページをパラ

パラとめくることになります。  

ふだん着の寺田寅彦

ふだん着の寺田寅彦

  • 作者:池内 了
  • 発売日: 2020/05/20
  • メディア: 単行本
 

   なにせ帝大の先生も、自宅でふだん着でありましたら、謹厳実直ではない

一面も見せるようであります。こちらはねころんで読んでいるのですから、

寅彦さんちのゴシップのようなところばかりをピックアップしています。

「寅彦は雪子(三女)にも平凡な結婚を望んでいたのだが、付き合う相手の青木

滋は雑誌記者の卵で、まだ海のものとも山のものともわからない人物だから、

寅彦の眼鏡にかなったわけではない。そこで二人に関係を絶つように求めたの

だ。もっとも、この間のゴタゴタの渦中でも青木は誠実に対応したこともあって、

寅彦は彼を信用するようになっていたらしい。」

 これは1935年くらいの話で、三女さんは女学校を終えてから文化学院大学部へ

と進学し、そこで青木さんという人と恋仲になった話であります。

その当時でありますから、良家の子女というのは見合いでふさわしい相手と結婚

するというのが一般的でありましたが、まさかの展開で、帝大ならぬ文化学院

知り合った青年と恋愛になって、1935年11月に結婚することになりました。

 三女の夫となった青木青年は、当時中央公論社の社員でありまして、1944年に

横浜事件連座して、会社を追われることになるのですが、その後は青地晨

いうペンネームで知られることになります。

 寅彦さんは、三女 雪子さんが結婚した翌月 12月31日に57歳で亡くなります。

 雪子さんは、もともと病弱であったようですが、脊椎カリエスとなって1945年

に30歳で亡くなったとあります。

 このほかでは池内さんが「すこし話は逸れるが」と記して、寅彦さんの親戚に

言及しているところが興味深いことです。

「寅彦の日記には多くの親戚の人間が登場する。長姉の駒が嫁いだ別役家(寅彦

は『べっちゃく』とルビを振っている。駒の子どもが励夫と博、駒の曾孫が劇作家

別役実)、駒の義弟の安岡家(義弟の孫が作家の安岡章太郎)という具合であ

る。」

 どのくらい近いのか遠いのかわからないけど親戚ではあります。交流が密であり

ましたら、ちょっと遠い親戚でありましても、うんと身近な存在となりますから

ね。それにしても、こういう具合に別役さんと安岡さんがつながるとはです。

 別役実さんのウィキを見ましたら、このことは記されていました。別役さんが

亡くなったときに目を通しているはずですが、まったくスルーしていました。