日本ではない日本かな

 本日は久しぶりでの野暮用でありまして、いつもよりもすこし時間がかかって

帰宅しましたので、ちょっとくたびれでした。夜にはトレーニングにいくことは

できないかと思っておりましたが、その元気はありませんでした。

 夜には昨日に購入した車谷長吉さんの「文士の魂・文士の生魑魅」を手にする

ことにです。この文庫の巻末解説は田中和生さん(1974年生まれの方だそうです)

が担当で、田中さんは「『鹽壺の匙』以来その作品に魅せられながら、どうして

車谷長吉私小説にこだわるのだろうとずっと思っていた。」と書き出していま

す。

 田中さんが「文学的な影響をあたえられ、またその新しい作品に注目しつづけ

ている同じ世代に属する男性の作家の一覧を眺めていてあることに気がついた」の

だそうです。

 その男性作家とは、辻原登橋本治村上春樹矢作俊彦高橋源一郎村上龍

なのだそうですが、おなじく影響をあたえられた車谷長吉とを並べてみると、車谷

だけが私小説にこだわっていて、その他はほぼ私小説を書いていないというのと、

もう一つ、車谷を除いてはみな「日本が太平洋戦争に敗北して連合国側に降伏した

1945年9月から、サンフランシスコ平和条約が発効されて日本が主権を回復する

1952年4月までの、アメリカ軍による占領下の日本、日本ではない日本に生まれて

いるということである。」

 なるほどな辻原から村上龍まではみな「日本的ではない作品を書くことは、日本

ではない場所に生まれたという事実にささえられた、いわば私小説的な表現になっ

ているのである」というのですが、このような切り取りができるのかです。

 車谷は1945年7月生まれで敗戦前ですから、戦前の小説家に親しいものを感じて

も不思議ではないとなるのですが、あたっているかどうかはともかく、占領下の

日本に生まれた当方としては、このような切り取りで改めて、自分のことを考えて

みたりです。

 占領下日本(日本ではない日本)で生まれたということは、当方にどのような

影響をあたえているのでしょうね。

 そういえば、林達夫さんは「新しい幕開け」という1950年に発表した文章で、

「日本の問題がOccupied Japan問題であるという一番明瞭な、一番肝腎な点を

伏せた政治や文化に関する言動が圧倒的に風靡していたことである。

このOccupied抜きのJapan論議ほど間の抜けた、ふざけたものはない。」と書い

ておりましたです。

 今に続く課題なのでありましょうか。